高瀬隼子が描いた『新しい恋愛』のカタチとはーー初の恋愛小説で挑んだ“王道”ではない側面
『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞後、多方面から注目を集める作家・高瀬隼子氏が、この度「恋愛」をテーマとした短編集『新しい恋愛』(講談社)を刊行した。プロポーズをされたくない「私」が登場する表題作のほか、青春時代のバレンタインのやりとりを描く「お返し」、ひそかに社内恋愛をしていた上司が退職することになる「花束の夜」など、5作品が収録されている。今回、高瀬氏に恋愛を小説で描くことを中心に話をうかがった(篠原諄也)
高瀬:最初は文芸誌「群像」の「小さな恋」という特集で、短編の依頼をいただいたんです。それでバレンタインの話の「お返し」を書きました。自分としては、恋愛はこの一編だけで終わりだと思っていたんですけど、担当編集の方からしばらく恋愛縛りで短編を書かないかとお話をいただいて。初めは、えっ嫌だな(笑)と……、正面から向き合ったことがないテーマだったので、難しいなと思いました。でもやってみようと挑戦したのが、この作品たちでした。
ーー恋愛と聞いた時に、その恋は「実らせまい」と思ったそうですね。
高瀬:恋かあ、実らないだろうなあ、と感覚的に思いました。私が書いたら絶対破局するじゃん、みたいな。恋愛や恋という言葉は、気持ちが昂って盛り上がっている時に使うような気がしていて。長くパートナーと関係が続いている方は、もう恋愛をしているという感覚じゃないことも多いと思いますし。
ーーだんだん恋愛という感じではなくなっていくと。
高瀬:これまでも恋愛ものの小説や漫画をいろいろ読んできました。けれど、異性愛の登場人物がカップルになって、幸せが続くというハッピーエンドのストーリーばかりで。10代の頃はぐっときてたんですけど、20・30代になると「嘘じゃん」という気持ちを持ってしまったんですね。
高瀬:自分が10代の頃は、漫画やドラマなどの影響が大きかったかもしれません。テレビはたくさん見ている方ではなかったんですが、小6の頃「あいのり」が流行っていて、毎週友達と番組の話をしていました。出演者が恋愛をして両思いになると、まったく関係のない視聴者でも泣いてしまったりする。あれは何なんだろうと思ったり。
漫画では魔法を使う敵と戦ったりするファンタジーでも、絶対に恋愛要素が含まれていました。少女漫画だと、最後に必ずイケメンとくっつくのがセットになっている。「かっこいい素敵な男性に選ばれる私」であることが、すごく求められているような気がしました。自分がそれになれないから苦しいというか、結局フィクションの世界だよね、と思っていて。だからなのか、恋愛ものからはどんどん離れていってしまいました。なので今回、恋愛をテーマとした作品の依頼を受けた時に、無理じゃないかと思ったんですね。
ーーそれでも恋愛をテーマに執筆できたのはなぜでしょうか。
高瀬:誰かに夢中になって、気持ちがぐるぐるとなって、その人のことしか考えられない状態みたいなのは、もういいかなと思って。身に覚えもありますし、見聞きしてもきたし。それに感動したこともあるんですけど、今はその夢中さに感動できない36歳・筆者が、ここにいるんですよね(笑)。
そういう感動できない恋愛の側面というか、もっと自分にとって身近で手触りが近いものなら書けるかもしれないと思いました。最近、友達と集まってご飯を食べていても、誰かが好きで付き合いたいという話よりも、自分の生活を尊重して認め合える人と出会いたいみたいな話になるので。だから、恋愛の延長線上の「自分ではない他者とは?」「パートナーとコミュニケーションを取るとは?」という話のほうが、自分にとってはリアリティがありました。
ーー表題作「新しい恋愛」の主人公の知星は、ロマンチックなものに嫌悪感がありますね。情熱的な恋愛とは対極にあるような考え方だと思います。
高瀬:ゼロから想像で書いた物語なんですけど、知星の感覚は作者の私が感じていたことでもありました。中学生の時に初めて恋人ができたんです。ただ、1ヶ月で別れたので、付き合っていたと言っていいのかもわからないくらいで。「好き」だと伝えて付き合うことになったんですけど、友達にバレるのが怖いから内緒にしていました。携帯も持ってないから、家の固定電話しかなく電話もできず。一緒に帰ったり遊びに行ったりもしなかったんですが、ある時、手紙をくれたんですよ。それになぜか引いちゃって。結局、家の電話で一回話しただけで、別れちゃったんですね。そういう経験は作品にも、うっすらと入っていたかもしれません。
ーー「新しい恋愛」でも、そうした感覚が描かれていました。ロマンチックな言葉を言われると、心が引いてしまって「嘘つき」だと感じてしまうと。ご自身はそういう感じは、その後も続いたのでしょうか。
高瀬:そうですね。大学時代にお付き合いしていた人には、20歳の誕生日にバラの花束をもらって、捨てて帰ったことがありました……。京都の大学だったので、繁華街の四条河原町で遊んだ後、鴨川を散歩していた時に、路上で売っていたバラの花束を買って、渡されて。でも、(当時は)鴨川の橋の下のゴミ箱があったので、そこに捨てて帰りました。
ーーそうなんですね(笑)。なぜだったんでしょうか。
高瀬:学生アパートに住んでいたんですけど、6畳一間でベッドと机を置いたらいっぱいで、花瓶なんて置くとこないしなあと。下宿まで帰るのにバスで30分かかるので、混みあったバスに花束を持って乗るのは嫌だなというのもありました。くれた本人にもちゃんと「申し訳ないけどここに捨てて行くね」と言いました。嘘つくのもちょっとあれなので。「あ、そっか」と言っていましたね。今考えるとひどいことをしているんですが、誕生日にバラの花束をもらうというのが、私にとってはしんどくて。
ーー「花束の夜」では、同じように主人公・水本が花束を受け取るエピソードがありました。社内で密かに付き合っていた先輩が退職することになり、その送別会の夜に彼自身が退職祝いとしてもらった花束を渡されます。同作をはじめ、職場での恋愛模様が巧みに描かれている作品集でした。
高瀬:社内恋愛は本当に多いですよね。私も社内で出会った人と結婚したんですけど。周りにも社内恋愛や社内婚をしている人がたくさんいました。
でも冷静になると、会社には仕事をしに行っているのに、恋愛している心があるというのは、モヤモヤするなと思います。自分も仕事を教わったり、教えたりしましたけど、相手が仕事が嫌にならないように、なるべく感じよく話すよう心がけていました。丁寧にわかりやすく具体例を挙げて、でも長過ぎないように簡潔に伝えようとか考えて。それは仕事で必要な親切心でやっていて「好かれたい」「好かれさせよう」という気持ちは一切ないじゃないですか。なのに、そういうやり取りの中から恋愛が生まれて、社内恋愛・社内婚に繋がるんですよね。
働いている間は職場にいる会社員としての自分。真面目に一生懸命に仕事をして、愛想をよくしている自分でした。恋愛の時の自分は、見せる顔もやっぱり違うし、恋愛が終わった後、家族やパートナーになった時の自分も違う。職場の人とよく陸続きでパートナーになれたなと我ながら思います。
ーー最後に本書を刊行された今のご関心や次作の構想について教えてください。
高瀬:今は長編を書きあぐねているところです。これまで私が書いてきた小説の批評で「もうちょっと言葉にすればいいのに。コミュニケーション不足なのでは」という意見をいただいたことが何回かあって。自分で読み返してみると、心の中でいろいろ考えているけれど、周囲の人間に対して思っていることを直接的に表現するシーンは確かに少なかったんですね。そのコミュニケーション不足についてちょっと考えたいなと思っています。
以前、Aマッソの加納愛子さんの小説の帯を書かせていただいたんですけど、加納さんの小説を読んだ時に、人物同士がめちゃくちゃ会話するなと思ったんですよね。コントや漫才を書かれてる加納さんなので、生きている世界も違うんですけど。だからこそなのか、会話でこんなに喋るんだと、ちょっと衝撃だったんです。そういう目線で他の方の小説を読むと、たくさん語っている人物がいる小説といない小説があるなと思って。自分の小説は全然喋ってないなと。
ただ何も喋らないこともリアルだなと自分では思っていて。普段は友達やパートナーとの会話でも、そんなに主義・主張をワーッと話すことや聞くことはあまりなくて。雰囲気でふわっと「あれやばいよね」「わかる?」と二言で終わらせたりしているので。その喋らないリアルを自分の小説では書きたいという気持ちもあります。次作では登場人物が喋るということについて、コミュニケーションをとること、とらないことの、両面から考えてみたいと思っています。