レコードの検閲と発禁、業の結晶としてのジャズ……音楽史の暗い裏面を描く2冊
ジャズの暗い側面を「業の歴史」として捉える
二階堂尚『欲望という名の音楽 狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ』(草思社)も、音楽の歴史を暗い裏の面から描いたものだ。ジャズが悪所から生まれたというのはしばしば言われることだし、その歴史が人間のネガティブな側面と分かちがたくあったことも一面の真理だろう。その暗い側面を「負の歴史」と見なさず、「業の歴史」と捉えたところに本書のユニークさはある。
「ジャズの歩みを丹念に辿れば、この音楽が二十世紀アメリカの裏面史と深い関係があったことがわかる。戦争、売春、ドラッグ、酒、犯罪、人種差別、民族差別、リンチ――。それらをまとめて人間の〈業〉と言ってしまいたい。(…)ジャズとはそのような人間の〈業〉の結晶であり、ジャズの歴史とはすなわち人間の〈業〉の歴史である」
描かれるのは日米のジャズの歴史で、異なる二つの国のジャズ史が、通底する「業」で結びつけられ、並列されていく。「ジャズとセックス」「ジャズとドラッグ」「ジャズと反社」といった具合だ。
「ジャズとドラッグ」を見てみよう。章題は「みんなクスリが好きだった」。まず紹介されるのは、日本人ジャズメンとヒロポンとの深い関わりである。
1954年7月27日、横浜伊勢佐木町のナイトクラブ「モカンボ」で伝説的なセッションが行われた。通称「モカンボ・セッション」。当時第一線のミュージシャンが百名近く集結した、本邦におけるごく初期のビ・バップのセッションだったことに加えて、奇跡的に録音されており、早世の天才ピアニスト守安祥太郎の演奏を後世に残したことでモカンボ・セッションは伝説と化した。
一方でモカンボ・セッションは、いわばヒロポン・セッションでもあった。楽屋裏にはヒロポンが山のように積まれており、ミュージシャンたちは入れ替わり立ち替わり打ってはステージに上がったらしい。世話役の一人だったハナ肇の「俺はヒロポンを仕入れて2階に置き、打ちたい奴には打たせたなあ」という証言が残っている。
この伝説のセッションは実は、違法薬物使用で捕まったドラマー清水閏の出所祝いとして開催されたものだった。
「クスリで逮捕されたミュージシャンの出所祝いのイベントでみんなでクスリをキメるというのは創作落語にでもしたらさぞかし面白そうな話だが」と二階堂は呆れ気味に書き付けている。
ウェブマガジン「ARBAN」連載時にこのくだりを読み、「こんな攻めた角度からの邦ジャズ史は初めて見た」と笑ったものだ。
このエピソードの後、日本におけるヘロイン受容とヒロポンの歴史をあらため、音楽とドラッグの結びつき、インスピレーションを生み出す触媒としてのドラッグ幻想の源泉を探るべく、アメリカのジャズ史に筆は運ばれていく。
他の項目についても同様の対比で話は進められるのだが、歴史といっても必ずしも通史的ではなく、面白さは、著者が発掘してみせる、どちらかと言えば歴史の影に埋もれたエピソードの多彩さと、それらから紡ぎ出される物語の妙味にある。その意味で本書は優れた読み物になっている。
総じて日米が並べて語られているが、実は第1章にあたる「ジャズとセックス」ではこの均衡が成り立っていない。それは日本のジャズというものが、戦後、アメリカの支配下で、米兵にセックスとともに供される娯楽として再出発することを余儀なくされたものだったからだ。
「戦後の占領下においてジャズは蘇った。日本人の求めによってではない。征服者の欲望によってである」
他人の欲望を受け止めざるをえなかった日本人の「業」はしかし、ジャズの起点にある黒人が負わざるをえなかった「業」の輪廻のようでもある。そう考えればここにも隠れた「並列」があると言えるかもしれない。