杉江松恋の新鋭作家ハンティング どぶどろの中に突如として星が輝く小説『金は払う、冒険は愉快だ』

新鋭作家ハンティング『金は払う、冒険は愉快だ』

 古道具買い取りに関するエピソードの数々はもちろんおもしろいので、そういう部分を楽しむだけでももちろんかまわない。一番は、店が入っている文化住宅の二階で暮らす元ヤクザの老人が、飼っている猫が五匹もこどもを生んでしまったため餌代が賄えなくなり、故郷から送られてきていた米を買い取ってくれ、と〈俺〉に言いにくる話だろう。当然だが〈俺〉は激怒する。この主人公はだいたい依頼人に対して怒るのである。怒るが商売だから、払うべき金は払う。しかし米は買い取れないので払えない。訳を聞くと猫助けのためだというので〈俺〉は元ヤクザのためではなく、五匹の仔猫のために行動を起こす。話を聞いた〈俺〉の妻が「状況を心配してというより、単に仔猫が見たくて」自転車でやってくるというのがいい。出番はちょっとだけだが、この妻のキャラクターは素晴らしい。どこかで似たような場面を読んだことがあると思ったが、あれだ、中島らもが奥さんについて書いたエッセイだ。

 読み始める前はかなり疑ってかかっていたのである。帯には「痛快“冒険”私小説」と書かれている。プロフィールを見ると〈俺〉は作者自身のようで、体験したことをただ書いただけなら、それはありがちな「私の仕事」エッセイなのではないか、と思ったからだ。しかし読んでわかった。これは小説である。買い取りのエピソードと自分の過去を語るパートの配置などはよく考え抜かれているし、何よりも文章が小説のものだからである。私小説であり、規範によって自らの行動を制限する個人の物語、すなわち狭義のハードボイルドであると言っていい。疑ってすまなかった。

 どぶどろの中に突如として星が輝く。私はこういう小説を知っている。ジャック・ケルアック『路上』(河出文庫他)だ。ビートニック小説の旗手として多くの書き手に影響を与えたライターズ・ライターである。たとえば『路傍』など、初期の東山彰良作品などはケルアックを目指した部分が大きいのではないだろうか。そうだ、こういう形で詩情を表現した作家をもう一人思い出した。E・S・ガードナーの別名義、カート・キャノンだ。『酔いどれ探偵街を行く』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、作者と同じ名前の私立探偵カート・キャノンの一人称で綴られていく連作短篇集で、邦訳は都筑道夫が手がけている。あのぶっきらぼうな中に哀しみを秘めた語り口もそっくりではないか。突如としてこんな書き手が現れるとは。小説はやはり、予想がつかなくておもしろい。こんなすごい書き手、一冊だけで終わったらもったいなさすぎる。絶対にもっと書いてもらいたい。いや、書くべきだ。

——依頼があれば、いつでもどこでも行くのが俺の仕事だ。実際は儲かる品や荷物が出てくることなんて滅多にない。(中略)人が死ぬか、死んだ誰かの家が売れれば、電話が鳴るか誰か訪ねてくる。こいつはそういう仕事なんだ。べつに俺は死神じゃない。俺が年寄りを殺しているわけじゃないからな。だだの不吉な男だ。

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