『鬼滅の刃』なぜ鬼舞辻󠄀無惨は竈門家を襲ったのか? 3つの仮説から考察
【3】 あくまでも偶然だった
そういう意味では、(身も蓋もない言い方になるかもしれないが)無惨が竈門家を襲ったのはあくまでも偶然だった、と考えるのが実はいちばん収まりがいい。
人間社会に紛れ込んでいる時の無惨は、都会で暮らしているようだが、戦時中ならいざ知らず、平時においては、さすがに鬼といえども、人目のつく街中(まちなか)での大量虐殺は行(おこな)いにくいだろう。
だから、よほどのことがないかぎり、雲取山のような人里離れた山中でしか、ふだんの補食や人間の鬼化は行えなかったのではないだろうか(第1話に出てくる「三郎爺さん」は鬼の存在を信じており、そういう噂が立つ程度には、定期的に無惨は山に現れていた、という見方もできよう)。
結論ーー偶然を超えた必然
というわけで、個人的には、【3】である可能性が一番高いと思うのだが、読者の皆さんはどうお考えだろうか。
いや、「偶然だった」というのでは、あまりにもご都合主義的ではないか、と思う向きもおられようが、偶然がやがて偶然でなくなるような運命的な展開は、たとえば、母親の仇(かたき)だった童磨と伊之助が戦うことになったり、無一郎が黒死牟の子孫であるということが死闘の最中(さなか)に判明したりと、この物語の世界では“よくあること”なのだ。
いずれにせよ、あの日、偶然、竈門家を襲わなければ、鬼舞辻󠄀無惨が炭治郎らによって討たれることはなかっただろう。しかし、偶然を超えた必然は静かに育(はぐく)まれており、「日の呼吸」(ヒノカミ神楽)が人知れず受け継がれていた以上、いつの日か必ず彼の破滅は訪れた、ともいえるのである。