パンデミック後、宇宙へ進出した人類の運命は? SF大作「天冥の標」シリーズの啓示

日本SF大賞「天冥の標」で得られる啓示

 全世界に広がって、すでに10万人以上の命を奪い、なおも感染者数を増やし続ける新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、大小さまざまなイベントを開催中止に追い込んだ。4月17日に開かれる予定だった第40回日本SF大賞の贈賞式も中止となって、「天冥の標」シリーズで初受賞となった小川一水、デビュー作を含む連作短編集『皆勤の徒』が第34回日本SF大賞を受賞し、続く著作『宿借りの星』で2度目の受賞を果たした酉島伝法の喜びの声は聞けなくなった。

 とりわけ、小川一水の「天冥の標」シリーズは、地球から宇宙へと進出していった人類の変化を、時間的にも空間的にも、そして小説の分量としても長大なスケールで描いた中で、謎の感染症がパンデミック(世界的大流行)へと至り、人類を恐慌に陥れたことが物語の重大な要素となっていた。今の惨状を予見しつつ、これから先に起こるかもしれない出来事を示唆する物語が生まれた経緯が、作者の口から聞けたかもしれない機会だっただけに、開催中止が惜しまれる。

 ただ、こうした事態に「天冥の標」シリーズは、遠い未来にまで及ぶ人類の営みを描いたSFであると同時に、災禍に直面した人類が学び、実践すべき事柄が多く盛り込まれた啓発の書として、いっそうの重要度を増したと言える。これを読むことで、中世のペスト、1920年前後のスペイン風邪などと並んで、人類史に刻まれるだろう新型コロナウイルス感染症に、どう立ち向かうべきかが見えてくる。

 日本SF大賞の選考会で「天冥の標」シリーズは、長大な時間スケールで、ひとの生きる様を探求した未来史は既存の日本SFにはなかったと評価された。永野護の『ファイブスター物語』のように、時代を前後しながら普通の人類や人体改造によって宇宙空間でも活動できるようになった種族、《救世群》と呼ばれる一派、《恋人たち》と呼ばれる生体アンドロイドの集団などが関わり合い、対立もしながら興隆や衰亡を繰り返す年代記となっている。その流れの裏側に人類ならざる存在も見え隠れして、地球という惑星から人類を遠く宇宙の果てへと導く。

 全10巻、17冊からなる長大なシリーズは、西暦2800年ごろの、人類が移住したメニー・メニー・シープという植民星を舞台にした『天冥の標I メニー・メニー・シープ』上下巻から幕を開ける。領主(植民地臨時総督)による統治の下に街が作られ、200万人ほどの人類が暮らしているメニー・メニー・シープには、今の地球人と同じような人間もいれば、改造によって電気の力で代謝を行う能力を得て、水中でも宇宙空間でも生きられるようになった、《海の一統》と呼ばれる種族もいる。

 化石燃料が存在せず、鉱物資源も乏しいメニー・メニー・シープでは、移住してきた際に使われた宇宙船に搭載された巨大発電炉で作られる電気がほとんど唯一のエネルギー源。それを握る領主の専横が強まったことで、《海の一統》が反旗を翻そうとするのが『メニー・メニー・シープ』のおおまかなストーリーだ。その過程で、メニー・メニー・シープで人類が暮らし始めた経緯、王族でもない領主が強い権力を握り続ける理由、地球ほどの大きさがあるらしい星で、狭い範囲にしか人類が植民できていない謎などが明かされる。

 数百年もの歳月の経過と技術の進歩が、宇宙に進出していった人類をどう変化させたのか? その描写にSFならではの想像力が発揮されているが、重要なのが全身を鱗で覆ったような奇妙な姿を持ち、その血液などから人を死に至らせる病気を感染させる「咀嚼者」という種族が登場することだ。そして、この《咀嚼者》が、2105年の地球で起こったパンデミックと何か関わりがあるかもしれない可能性が、続く『天冥の標II 救世群』で描かれる。

 ミクロネシアにある島で、顔に黒い斑紋が浮かび全身が腫れ上がり死に至る奇妙な病気が発生する。致死率は95%。疾病Pと当初は名付けられ、やがて冥王斑と呼ばれるようになるその病気は、押さえ込もうとする人々をすり抜けて全世界に広がっていく。

 感染者が身勝手に振る舞って感染者を増やす描写は、現在を予見したかのよう。そして、新型コロナウイルス感染症で起こっている感染者に対する排除の動きも、物語の中でしっかりと描かれる。感染症のアウトブレイクが起こった街が舞台となった朱戸アオの漫画『リウーを待ちながら』と共に、現実を予見した医療サスペンスとして読んでいける。

 ただし、「天冥の標」の場合は、SFであるという点で『リウーを待ちながら』や、その原型となった『Final Phase』とは違った恐ろしさがあり、広がりがある。何しろ700年も未来にまで、病気が影響を及ぼして人類の思考や言動を揺さぶっているのだから。

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