『ブギウギ』に実名登場の李香蘭とは? 笠置シヅ子&服部良一との深い縁を解説
NHK連続ドラマ小説『ブギウギ』の1月4日から始まる第14週に李香蘭(昆夏美)が登場する。福来スズ子(趣里)のモデル、“ブギの女王”こと笠置シヅ子と同時代に生きたスーパースターだ。
戦時中は満州国と中華民国、日本を股にかけて女優、歌手として大活躍した。李香蘭とはどのような人物だったのか、あらためて振り返ってみたい。
李香蘭とは……
李香蘭は1920年(大正9年)生まれ。笠置シヅ子より6歳年下にあたる。本名は山口淑子。中華民国・奉天郊外で日本人の両親の子として生まれた、れっきとした日本人である。親中国派だった父親から特訓されて、流暢な北京官話(当時の標準語)を話すことができた。1938年(昭和13年)に国策映画会社、満州映画協会(満映)から中国人スター・李香蘭として女優デビュー。満州の人たちに向けた国策映画に数多く出演し、美しいソプラノの歌声と可憐なルックスでまたたく間にスターとなった。国策映画とは、満州の人たちに日本にとって都合のいいメッセージを伝えるための作品である。
『白蘭の歌』(1939年)では、日本の人気俳優・長谷川一夫と共演した。満州で働く日本人男性・長谷川と満州の少女・李香蘭のラブロマンスを描くもので、中国が日本を慕えば日本も中国を愛するというメッセージが込められていた。同じく長谷川と共演した『支那の夜』(1940年)では、日本人男性の長谷川に平手打ちされた中国人少女の李香蘭が愛に目覚める場面があった。当然、中国人にとっては屈辱的な表現だったが、日本人は大いに喜んで映画は大ヒットを記録。李香蘭の人気は日本でも爆発し、1941年(昭和16年)の公演では、日本劇場(日劇)に10万人もの群衆が殺到してパニックになった。それだけ満州に対する夢とロマンが日本国内で煽り立てられていた。
李香蘭自身は、心はほとんど中国人だったが、日本への愛着もあったため、中国での抗日運動にも、日本人の中国人への差別意識にも心を痛めていた。自分は日本人だと記者会見で告白しそうになったが、周囲に押し止められていた。
李香蘭と服部良一
羽鳥善一(草彅剛)のモデル、作曲家の服部良一と李香蘭の出会いは、先述した『白蘭の歌』の劇中歌「いとしあの星」の作曲を服部が担当したことだった。映画の中で李香蘭が歌った曲で、日本の流行歌とは一線を画したモダンかつ異国情緒のあるメロディが人気を集めた。
服部は続く『支那の夜』でも李香蘭が歌う劇中歌の作曲を手がけている。それが「蘇州夜曲」である。服部がジャズのメッカだった上海を旅したときに浮かんだ曲想を活かして作曲されたもので、今も数多くのアーティストに歌い継がれる名曲中の名曲である。服部は「李香蘭の才能を引きだす音楽をいつか作りたいと思っていた」と振り返っている。『ブギウギ』の第44話では、喫茶店で「蘇州夜曲」を耳にしたスズ子が自分にも歌わせてほしいと羽鳥に訴える場面があった。
1943年(昭和18年)、李香蘭主演の本格的な音楽映画『私の鶯』が制作され、服部が主題歌などを作曲した。しかし、ロシア人オペラ歌手らが大挙して出演し、敵性音楽とされていたオペラがふんだんに使用されたせいか、日本でも満州でも公開されなかった。