ルッソ兄弟のSFアドベンチャー『エレクトリック・ステイト』が意義を持つ作品になった理由

スウェーデンのアーティスト、シモン・ストーレンハーグのグラフィックノベルを原作とした、アメリカのSFアドベンチャー映画『エレクトリック・ステイト』が、Netflixにて配信リリースされた。監督は、『アベンジャーズ』シリーズや『グレイマン』(2022年)の、アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ兄弟である。
ここでは、そんな本作『エレクトリック・ステイト』が、レトロフューチャーな世界観のなかで、ロボットと人間との確執や友情、権利をつかもうとする戦いを通して描こうとしたものが何だったのかを考察していきたい。
舞台は、現実の歴史とは異なる1990年代。ロボットたちが思考や意志を持つようになり、人権の獲得を求めて世界中で抗議運動を起こすようになる状況が、映像とともに説明される。アメリカでロボットたちの指導者を務める、実在する加工ナッツの宣伝キャラクターのロボット、“ミスター・ピーナッツ”(声:ウディ・ハレルソン)が演説する姿は、リンカーン大統領のようでも、キング牧師のようでもあり、南北戦争や公民権運動、BLM(ブラック・ライヴズ・マター)の盛り上がりなど、差別問題をめぐるアメリカ史のイメージを想起させる映像が連続していく。
ロボットの反乱を鎮圧しようとする人間側は、ヘッドセットを装着することで機械に自らの意志を伝達する「ニューロキャスター」なる新技術を駆使し、ロボットたちを戦闘で圧倒。アメリカでは残ったロボットたちが砂漠地帯の制限区域に隔離されることで、戦争は集結を迎えた。この部分は、かつての「インディアン戦争」におけるネイティブアメリカンの強制移住に類似している。
このような設定と描写から分かるのは、作り手がロボットの蜂起と弾圧される姿を通して、現実の差別や社会問題を描こうとしているということだ。ロボットたちの運命が、さまざまな歴史的イメージと重ねられるように、相似形といえる構図はさまざまなものがあるが、やはり本作が最も強く想定しているのは、現在の社会状況であるだろう。
本作の主人公であるミシェル(ミリー・ボビー・ブラウン)は、弟のクリストファー(ウッディ・ノーマン)ら家族を事故で失い、横暴な里親のもとで暮らしている学生。彼女はある日、死んでいると思われていた弟の意識が入ったロボット(声:アラン・テュディック)に導かれ、密輸業者キーツ(クリス・プラット)と彼の相棒ロボットのハーマン(声:アンソニー・マッキー)らに助けられながら、弟の身体を探す旅に出かけていくのだ。
その旅のなかで行き着くのは、制限区域のなかで大勢のロボットたちが暮らすコミュニティだ。かつてロボットたちを率いていたミスター・ピーナッツは、仲間たちの命を守るため、人間に影響を与える行動には消極的になっていたが、やがてミシェルらに協力し、再びロボットたちとともに立ちあがろうとする。
キーツやハーマン、そしてミスター・ピーナッツやアマースト博士(キー・ホイ・クァン)など、次第にミシェルの周りには、人間、ロボット問わず、力を貸そうとする仲間たちが集まってくる。彼女は旅のなかで、ロボットの権利獲得を目指す社会活動のリーダーとして成長し始めるのだ。