『Flow』は“ノアの方舟”ではなく“バベルの塔”に 人間世界にも置き換えるべき他者との共生

アカデミー賞長編アニメーション賞では過去にもシルヴァン・ショメの諸作やアイルランドのカートゥーン・サルーンの作品など、ヨーロッパアニメが頻繁にノミネートされてきたが、いずれもハリウッドメジャーや国際的に評価の高い日本アニメを前に受賞に届かず(アードマンの『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』はドリームワークス・アニメーションとの共作だったので例外だが)。それだけに、ギンツ・ジルバロディスの『Flow』は、ラトビアに初のオスカーをもたらしたということ以上に、アニメ界の勢力図を変えるだけの大きな勝利を手にしたといえるのではないだろうか。

大洪水に見舞われた世界を、一艘のボートに乗り合わせて漂いつづける動物たちの姿を映す。さながら“ノアの方舟”を想起させる本作の上映時間はわずか75分。正直なところ、これを読むよりも劇場に行って自分の目でどんな作品か確かめてもらったほうが早いかもしれない。前知識があろうとなかろうと、本作には何の影響も及ぼさないだろう。それだけ純然としたマジカルな瞬間が詰め込まれているのだから。

ただどうしても、この映画に関してひとつだけ言いたいことがあるので、それについて書き進めていくことにしよう。それは作品を評価する人たちの声でも、日本や海外の宣伝でも、それこそ監督自身であるジルバロディス本人がインタビューなどでも発している「台詞が一切ない」という謳い文句である。これに関しては、果たしてそうなのだろうか?とどうしても疑問に思えてしまう。

もちろん、昨今の“すべて台詞で説明する”流行りアニメと対照的に、ダイアログがなくとも物語が見える映像表現を推したいという点はよくわかる。動物たちしか登場しない作品であるが、『ベイブ』のように彼らに人間の言語をあえて喋らせるような方法も取られてはいない。その代わり、猫、犬、カピバラ、キツネザルに大きな鳥と、劇中に登場する動物たちは皆、各々の鳴き声を発している。ジルバロディスのインタビューによると、それらはすべて実際に彼らの声を収音して使用しているのだ(ただしカピバラに関しては、子ラクダの声を使ったそうだ)。

収音時に彼らがどのような心情をもって彼ら固有の言語を発しているかは、作り手も含み我々人間には到底わかることはできないだろう。「このような声を出してほしい」という注文があったかもしれないし、もしかしたら驚くほど劇中のシチュエーションに適合した言語を彼らは発していたかもしれない。そうした意味で、この映画には「台詞が一切ない」のではなく、「人間が理解できる台詞が一切ない」、あるいは「台詞として人間が用意したものが一切ない」としたほうが適切であろう。