『すずめの戸締まり』と震災ドキュメンタリーが捉える“フィクションだから描ける現実”

新海誠らが乗り越えようとした“分断”

 新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』は、死者の声を聴く映画だった。

 「死者の声を聴く」というキーワードである文章を思い出した。

 『ドライブ・マイ・カー』の映画監督・濱口竜介氏は、「『死者の声』を聴くために」と題された文章で、2011年の東日本大震災の後、東北でドキュメンタリー映画製作を行っていた体験を綴っている。「死者の声を正しく聞くことができたら」とその時、彼は考えたという(※1)。

 『すずめの戸締まり』は、死者の国がすぐ近くにあることを強く匂わせる作品だった。その態度はどこか、ドキュメンタリー映画を撮影しながら死者の声を聴く方法を模索していた濱口竜介監督の態度に近いように筆者には感じられた。

 震災以後、数多くのドキュメンタリー作品が作られたが、カメラでは撮影しようのない存在(=死者)といかに向き合うかに多くの作家が苦心した(※2)。それに対して、アニメーション作家の新海誠はどんなアプローチをしたのか。アニメとドキュメンタリーという一見遠い存在であるそれらに共通点は見出せるだろうか。カメラで撮影できない対象を通して、実写とアニメーションの分断は克服されうる、そして、その先にある当事者と非当事者の分断の壁を超えるヒントはないか、本稿ではそれを探ることにする。

濱口竜介と酒井耕が直面したカメラで映せない「被災の中心」

 2011年の東日本大震災に対して、いち早く反応した創作ジャンルの1つは、映像だ。

 文芸評論家の藤田直哉氏は、「震災ドキュメンタリーの猥雑さ」という原稿でその理由を、「そこにあるものを撮影するだけで『作品』として成立してしまう『強度』があった」と述べる(※3)。

 私たちはあの時、ニュースで、SNSで、繰り返し衝撃的な映像を目の当たりにした。大自然による圧倒的な破壊は、どんな創作でも太刀打ちできないような凄まじさがあった。しかし、そういう強度ある映像を撮影するだけで、本当に震災がもたらした本質にたどり着けるのかと疑問を感じた作家もいた。

 濱口竜介氏は、震災後、酒井耕氏と共同で東北地方にてドキュメンタリー映画を制作していた。「東北記録映画三部作」と名づけられた一連の作品群は、津波が街を襲う様子や瓦礫の山々といった強度ある映像は一切なく、もっぱら人々が震災体験を語る様子を記録している。

 濱口氏は、撮影の過程で「被災の中心」にどこまで行っても出会うことがなかったと言う。

濱口 仙台は被災地だと思っていたけれど、話を聞いてみると、「私たちなんて全然被災者ではありませんよ、沿岸部に比べれば」と言う。そこで沿岸部に行ってみると、「いやいや僕は家を失くしただけですから、もっとひどいのは親しい人を亡くされた方ですよ」となる。で、そういう方に話を聞くと、「本当に苦しいのは私ではなく、波にのまれたあの人です」となって、もうそこでどこにも行くことができなくなってしまった。
<中略>
濱口 どうしても聞けない部分、それが被災の中心にある「死者の声」だったんです。(※4)

 被災の中心が死者だとすれば、カメラで撮影することは不可能だ。彼らはそこで人々の語りと対話を記録する選択をしたのだが、その記録スタイルは、とてもユニークだ。濱口氏は以下のように説明する。

濱口 二人の椅子の位置を左右にずらします。そして一人一人の正面にカメラを据えます。二人は、耳だけ相手の話を聞きながら、カメラに向かって話すことになります。その二人をあたかも向かい合って話しているように編集でつなげるんです。(※5)

 なぜ、このようなスタイルで撮影したのか、監督の2人はこの作品を「フィクション化」したかったと語っている。

濱口 この方法には複数のいいことがあると思っています。僕らにとって初めてのドキュメンタリーの撮影体験だったのですが、この撮り方をすれば「これはフィクションである」という刻印がされるだろうと。そう示したうえで、「それでもなおこの映画に信じ得るものがあるだろうか?」という問いとして映像を提示したかったんです。(※5)

 この「フィクション化」という作業は、三部作の最終作『うたうひと』においては、震災体験でなく、東北地方に伝わる民話の語りを記録するという方向に向かう。

 東北の現実を目の当たりにしながら、濱口氏と酒井氏はなぜフィクションに向かったのか。それは、彼らが元々劇映画作家だったという資質以上に、カメラでは映せないものと向き合う必要があったからだ。

 その1つが上述した被災の中心である「死者」だ。そして、もう1つはこの世界とは違う「もう1つの世界」だ。2人は、東北記録映画三部作の制作過程を語るYouTubeチャンネル「かたログ」で、「民話とはもう1つの世界があることを示す」ものであり、語り手が別の世界があることを当たり前の前提として語っていることに気づいたという。そして、それは「撮影だけでは映せないもの」だと感じたそうだ(※6)。

 濱口氏はフィクションとは「生と死を混乱させる装置」かもしれないと語る(※7)。その混乱によって生と死の境界線を乗り越え、決してカメラでは映せない「被災の中心」に迫る。これが「フィクション化」の効果なのだ。

小森はるかと瀬尾夏美の新しい民話作りの記録

【二重のまち/交代地のうたを編む】予告篇

 濱口氏と酒井氏の他にも優れたアプローチで東北を記録する作家がいる。

 映像作家の小森はるか氏と画家・作家の瀬尾夏美氏の2人は、震災後ボランティアとして東北を訪れ、その後現地に移住し、いまも東北を拠点に創作活動を続けている。現地の人たちに寄り添い復興の過程を目の当たりしてきた彼女たちの作品は、示唆に富むものばかりだ。

 近年、2人は記録するだけでなく、より踏み込んだ形式で震災の記憶を継承させる実践の場を作ろうと試みている。2021年に公開された『二重のまち/交代地のうたを編む』はその実践を記録した作品だ。

 この映画は、瀬尾氏が作った物語『二重のまち』の朗読劇を陸前高田の人々の前で披露する4人の若者の姿を捉えた作品である。『二重のまち』はこんなあらすじだ。

 陸前高田市は、津波対策のために町のかさ上げ工事を実行した。かさ上げによって新しくできた「上のまち」と、津波によって壊され土の下にある「下のまち」があり、下のまちには亡くなった人々が暮らしている。舞台は2031年、一人の少年がある日、下のまちへと続く扉をくぐり、死者の世界を体験するという話だ。

 小森氏と瀬尾氏は、2017年の映画『波のした、土のうえ』でかさ上げ工事を目の当たりにした人々の喪失感を描き、それを「第二の喪失」と呼んだ。そして、新たにできた新しい街を愛せる時が来るだろうかと問い、未来を舞台にした物語を創造した。

 集められた4人の若者は、全国から募られた。映画は、彼ら・彼女らが陸前高田の人々と接し、どのように朗読劇を作ればいいのか、自分にそんなことを語れる資格はあるのかと葛藤する様子が映し出されていく。

 この作品の製作意図を2人は次のように語る。

「当事者性が低い」と感じている人たちが何かをつかもうとする、わかろうとする過程自体、そういう身体自体が、経験を継承する媒介になっていくと感じました。<中略> その当事者が自然に語らなくなってきたときに、別の身体がそこに入っていって、体験の語り継ぎ、「継承」のトライアルを始めてみたいと思いました。(※8)

 ここで注目すべきは、継承の実践として未来を舞台にした朗読劇の作成という手法を採用した点だ。なぜ、実際の体験談ではなくフィクションにしたのだろうか。やはり、2人もカメラで映せないものの存在に気づいていることにも理由の一端があるだろう。

小森 フィクションや妄想の大事さ、共感します。私はドキュメンタリーですが、映っている人が匿名であってもいいし、別などこかの誰かに見えてもいい、というくらいの抽象度でドキュメンタリーを成立させたい。<中略> カメラで映しても映らないものがいっぱいあるじゃないですか。「見えないけどそこにあるよ」を映像で表現するときに頼りにするのはフィクション、語りかもしれないです。(※9)

 カメラで映せないものに対して、フィクションによってそれを補うという発想は濱口氏・酒井氏と同じ発想だ。しかし、小森氏と瀬尾氏は過去の民話に向かわず、自分たちで新しい民話を作る選択をした。それが『二重のまち』の物語なのだ。

 小森氏と瀬尾氏は、『うたうひと』に登場する小野和子氏が主宰する「みやぎ民話の会」とも知り合いで、震災の災厄からも新しい物語が生まれてほしいという言葉を聞いていたそうだ(※10)。

 濱口竜介と酒井耕、小森はるかと瀬尾夏美。東日本大震災をめぐる優れたドキュメンタリーを複数製作したこの二組は、どちらも一様にカメラで映せないものに向き合い、フィクションの力を借りることで乗り越えようとした。濱口たちはフィクションに「生と死の混乱」を見出し、死者と生者の分断を乗り越えようと試み、小森たちは新しい民話の制作過程を通じて、当事者と非当事者の分断を乗り越えようとしている。

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