なぜ“実写部門”がないのか? アカデミー賞で考える、実写とアニメーションの弁証法

実写とアニメーションの弁証法

 アカデミー賞の季節がやってきた。

 今年は、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が日本映画として初めて作品賞にノミネートされるなど、日本国内でも例年以上に注目度が大きい。言うまでもなく、アカデミー賞の最高賞は作品賞だ。

 作品賞は英語でBest Pictureと言う。ロサンゼルスの映画館で公開されていなくてはならないなど、いくつかの条件はあるが、基本的には全ての長編映画に門戸が開かれている。もちろん、アニメーション映画にも。

 だが、毎年ノミネートされる作品は実写映画ばかりだ。代わりに、アニメーションには長編アニメーション部門が設けられている。常識すぎて見落としてしまっていたのだが、よく考えてみるとこれは不思議だと思った。どうして、アニメーション部門があるのに、実写部門はないのか。

 アカデミー賞に限らず、実写部門を設けている長編映画賞は、筆者の知る限り存在しない。映像産業の常識として実写部門は存在していないのだ。

 だが、そもそも最高賞である作品賞は「実写部門賞」ではないし、映画とは無条件に実写を指すわけでもないはずだ。とりわけ、今日の実写とアニメーションの境界が不確かな時代においてはなおさらである。

 この不均衡をどう考えるべきなのだろうか。

アカデミー賞におけるアニメーションの歴史

 アカデミー賞にアニメーション作品が迎え入れられたのは、1932年の第5回からだ。この年から、アカデミー賞に短編部門が新たに加わり、カートゥーン部門として3本の作品がノミネートされ、ウォルト・ディズニー・プロダクションの『花と木』が受賞している。意外と早い段階からアカデミー賞もアニメーションに着目していた。

 当時、アニメーション映画と言えば短編しかなかった。世界初の長編アニメーション映画は1937年の『白雪姫』だ。当時、大ヒットを記録した同作は、アカデミー作曲賞へのノミネートを果たし、翌年にはウォルト・ディズニーがアカデミー名誉賞を受賞。白雪姫の内容になぞらえてフルサイズのオスカー像と7つのミニサイズのオスカー像が授与された。(※1)

 だが、長編アニメーション部門の設立は、それから62年後の2001年まで待たねばならなかった。随分と時間がかかったものだ。だが、長編アニメーション部門がなかったということは、アニメーションと実写を分けるルールもアカデミー賞には存在せず、実写映画と等しく競える状況にあったとも言える。だがこの間、作品賞にノミネートを果たしたアニメーション映画は1991年の『美女と野獣』1作のみである。

 長編アニメーション部門が設立された背景には、アカデミー賞の歴史で冷遇されてきたアニメーション映画に光を当てるという目的の他、長編アニメーションのコンペを実施できるほどに作品数が増大してきたという背景もある。

 アカデミー賞の公式ブック『85 Years of the Oscar: The Official History of the Academy Awards』の中でRobert Osborneは、2000年は長編アニメーション映画の公開本数が8本だったが、それ以前には長編アニメーション映画の公開本数はもっと少なく、もし独立した部門があっても、公開された全ての作品がノミネートしてしまうような状況だったと記している。ちょうど世紀の変わり目から、長編アニメーション映画が増大傾向となり、独立した部門設立の意義が高まったというわけだ。(※2)

 一方で、独立部門の設立は、逆に最も注目を集める作品賞からアニメーションを遠ざけてしまうのではという批判がある。だが、アニメーション映画であっても作品賞へのノミネート要件は失わない。現に2010年に『カールじいさんの空飛ぶ家』が作品賞と長編アニメーション部門両方にノミネートされ、翌年には『トイ・ストーリー3』が続いている。

 2010年という年は、アカデミー賞にとって大きな改革の年だった。年々視聴率と一般市民の関心が低くなる傾向を危惧した映画芸術科学アカデミーは、作品賞ノミネート数を5作品から最大10本に変更した。『カールじいさんの空飛ぶ家』はこの恩恵を受けたのだと思われる。

 だが、今年で94年目になるアカデミー賞の歴史において、作品賞にノミネートされたアニメーション映画は、その3本のみだ。作品賞受賞はもちろんゼロだ。

アニメーション映画だと認められるための厳しい条件

 アカデミー賞長編アニメーション部門へのノミネートを果たすにはいくつかの条件がある。アカデミー賞の公式ルールは毎年細かくアップデートされ、pdfでダウンロードできるようになっている。(※3)長編アニメーションに関するルールは、「ルール7」に記載されている。

1:運動とキャラクターのパフォーマンスが「frame-by-frame(コマ撮り)」のテクニックで作られていること
2:手描きに限らず、コンピューター・アニメーション、ストップモーション、クレイ(粘土)アニメーション、ピクシレーション、切り紙アニメーション、ピンスクリーン、コマ撮りのカレイドスコープなど、様々な手法が対象となる
3:モーションキャプチャ―とパペット操作を駆使しているだけではアニメーションとは見なさない
4:40分以上の作品が長編、それ以下の長さの作品は短編となる
5:アニメーションパートが全体の75%以上ではくてはならない
6:主要キャラクターがアニメーションで描かれていなくてならない
7:実写と見間違うような映画的なスタイルで制作された作品の場合、実写ではなくアニメーション作品であることの根拠となる情報を提出すること
(各ルールのナンバーは、わかりやすく提示するため筆者が付けた)

 これらのルールは、作品賞の基本的な諸条件に追加で課されている。米国アカデミーは、アニメーションと実写を分ける線引きとして上記のような定義を採用しているわけだ。

 反対に考えてみると、これらの条件を少しでも満たさなければ実写映画ということになるのだろうか。

 例えば、作品の75%以上はアニメーションでなければならないとあるが、実写パートが26%、アニメーションパートが74%では、アニメーション映画と認めてもらえないことになる。そう考えると、アニメーションとして認めてもらうハードルは結構高い。逆に実写映画のハードルは著しく低い様に感じる。全体のわずか26%が実写ならそれで実写映画だということになるのか。7番目のルールなどはかなり異様だ。アニメーションであるというなら、自分で言い分を示せと言っている。

 ただ、これは「映像はアニメーションと実写しかない」と考えた場合の話だ。

 実写映画がアニメーションのように明確な定義を持っているのなら、その定義を満たした作品が実写映画ということになるだろう。しかし少なくとも、アカデミー賞のルールには、何を実写映画と見なすかの定義はない。これは、ながらく「映画は実写」というのが暗黙の了解のようにまかり通っていたからだろう。

 だが、この連載で見てきた通り、映画=実写と見なすにはあまりにも今日の映像環境は交じり合っている。アニメーションのように作られた実写映画もあれば、実写映画と見わけのつかないアニメーションもある。アカデミー賞の歴史の中で、それが最も切実な問題として浮上したのは、2010年の第82回だろう。この年から、上記の3番目、モーションキャプチャ―だけではアニメーションに定義されないというルールが追加されたのだ。

 このルールが影響したのかどうかは不明だが、その年の作品賞有力候補だったジェームズ・キャメロン監督の『アバター』は長編アニメーション部門にはノミネートせず、作品賞にノミネートされている。

 ちなみに、その1年前の長編アニメーション部門を受賞したのは、モーションキャプチャ―を多用している『ハッピー・フィート』だった。この作品はモーションキャプチャ―のデータをCGアニメーターがさらに加工しているため、アニメーションとして定義されると思うが、アカデミー賞のルール改訂が1年早かったら投票の判断に影響しか可能性もあっただろう。(※4)

 モーションキャプチャ―による映像が実写なのかアニメーションなのかは確かに難しい問題だ。『ULTRAMAN』や『攻殻機動隊 SAC_2045』をモーションキャプチャ―を駆使した作った神山健治監督は、それらの作品を「アニメなのかと問われると、アニメじゃないかもしれません」と断定せずに変わった映像として提示している。これらの作品は、実写かと問われれば実写とも言い難いものだ。(※5)

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