言葉に宿る煉獄杏寿郎の魂 劇場版『鬼滅の刃』ストレートな台詞の数々が観客の心を震わせる
爆発的なヒットを記録している『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』。ヒットの要因は数々あるが、登場人物たちが口にする数々の言葉もその中のひとつだろう。人の心に機微に触れる熱い物語と迫力のある映像で圧倒した上で、さらにストレートな言葉を突き刺すことで、観客の心を激しく震わせることに成功している。ここでは印象的だった劇中のセリフを振り返ってみたい。
※本記事には映画のストーリーに関わるネタバレが含まれます。原作のセリフをもとに、適宜、句読点を付け加えました。
そんなことで俺の情熱は無くならない! 心の炎が消えることはない! 俺は決して挫けない!(煉獄杏寿郎)
『無限列車編』のもう一人の主人公とも言えるのが、炎柱・煉獄杏寿郎(日野聡)だ。竹をスパーンと割ったような明朗快活な性格と何事も最後まで完遂する強い責任感を持った、非常に頼りがいのある男として描かれて観客を魅了した。
これは下弦の壱、眠り鬼・魘夢(平川大輔)に眠らされていたときに杏寿郎が見た夢の中の言葉。無気力になった父・槇寿郎(小山力也)に罵倒されて傷つくが、弟・千寿郎(榎木淳弥)の前では快活に振る舞い、あらためて柱として鬼殺隊を支える決意を語る。ただ言葉をかけるだけでなく、自分が強く生きる姿を見せることが弟の生きる勇気につながることを杏寿郎は知っているのだろう。
どんな道を歩んでもお前は立派な人間になる! 燃えるような情熱を胸に頑張ろう! 頑張って生きて行こう! 寂しくとも!(煉獄杏寿郎)
続いて杏寿郎が弟・千寿郎にかけた言葉。母を知らず、体も弱い弟に対して、杏寿郎は丸ごとの愛情を注ぐ。とはいえ、「頑張って生きて行こう! 寂しくとも!」の部分は自分自身を鼓舞しているようにも聞こえる。杏寿郎だって寂しいのだ。
たくさんありがとうと思うよ。たくさんごめんと思うよ。忘れることなんて無い。どんな時も心は傍にいる。だからどうか許してくれ。(竈門炭治郎)
魘夢に眠らされた炭治郎(花江夏樹)は、夢の中で惨殺された家族たちと平和な暮らしをしていた。覚醒しつつあった炭治郎は、家族たちに背を向け、涙を流しながら走り去る。自分が行かなければ、誰かがまた鬼に喰われて、誰かが悲しい思いをしてしまうから。
人の心の中に土足で踏み入るな。俺はお前を許さない。(竈門炭治郎)
「幸せな夢や都合のいい夢を見ていたいっていう人間の欲求は凄まじい」ことを知り抜いている魘夢に殺された家族のことを持ち出された炭治郎は激怒する。それは人の心の弱い部分につけこんで操ろうとする魘夢の卑劣さへの怒りだ。人の心に土足で踏み入り、人を操ろうとすることは「侮辱」以外の何ものでもない。
初対面だが俺はすでに君のことが嫌いだ。(煉獄杏寿郎)
突如現れた上弦の参、猗窩座(石田彰)。まず手負いの炭治郎を殺そうとした猗窩座を見て、杏寿郎はすぐさま「嫌いだ」と態度を明らかにする。弱い者を真っ先に排除、抹殺しようとする猗窩座の発想そのものが、常に弱い者を守ろうとする杏寿郎には許せなかった。
老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。(煉獄杏寿郎)
猗窩座は杏寿郎に対して「鬼にならないか」と誘う。人間は誰しも老いて死ぬ。しかし、鬼になれば百年でも二百年でも鍛錬して強くなれる。そして戦い続けようというのだ。だが、杏寿郎は猗窩座の誘いを一蹴する。
猗窩座はこれまで強さに憧れて弱者を踏みにじってきた。一方、杏寿郎は人間の弱さと儚さを愛している。なぜなら、人間の弱さから生まれる強さを知っているからだ。肉体が弱くても、誰かを思う心があれば、無限の強さが得られることがある。その考えは、杏寿郎が続けて放った「強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない」という言葉にも表れている。