“恋愛離れ”なのになぜラブストーリーは覇権コンテンツなのか “恋バナ化”の進行が鍵に?

“恋愛離れ”でもなぜラブストーリーは覇権?

 恋愛とはめんどくさいものである。それはなぜか。まず出会いを作り出すこと自体に時間と労力が要る。うまくいくかがわからないのにアプローチをかけるのもさらに億劫。それでも自分からしっかりと「あなたが好きです」と伝えられる人に出会えた時点で、恋愛という道のりを十分に駆け出せているスーパーアスリートだ。しかも、そのお相手が自分のことを好きでいてくれる確率なんて奇跡に近い偉業。タイムトラベルができることより素晴らしいことだとも言われている。現在、そんな人と一緒にいられる皆様は恋愛日本代表だ。誇りを持ってほしい。しかし、このような快挙を成し遂げた代表選手たちでさえ、結局、別れたりする。世界は広いのだ。

 それでなくとも昨今では「推し活」など特定のパートナーを作らずに楽しめる物事が多く、ライフワークバランスや景気の変化もある。結婚が「ゴールイン」ではなくなり、恋愛をしなければという空気もとうに消え去った。恋愛や結婚は1つの選択肢に落ち着き、選ばない人が増えている。昨今言われているような「恋愛離れ」は確かに起こるべくして起きている。

 だがしかし、「恋愛離れ」と言われ続けようと2025年も「恋愛映画」は常に作られ、「恋愛リアリティ」はむしろ人気を博している。恋愛というコンテンツが衰退する様子は全くなく、“覇権”であり続けている。

『ファーストキス 1ST KISS』©2025「1ST KISS」製作委員会

 なぜなのか。恋愛離れが起きているからこそ、恋愛の疑似体験に対する需要が高まっている側面もあるかとは思われるが、何よりも「他人の恋バナは面白すぎる」からではないだろうか。「他人の恋バナ」というものは、自身の恋愛経験や現状のステータスに限らず楽しめる。そして、本来的にこの「恋バナ」に求められるモノとは、純愛の幸福な成就やシンデレラストーリーではない。幸せなだけの話は大概「のろけ話」の域を出ないが、そんなものはもういいのだ。とりわけ、昨今の恋愛映画のトレンドの1つは「お別れ」となっている。

 例えば、2025年に公開された『366日』『ファーストキス 1ST KISS』『恋脳Experiment』の3つの作品が持つ共通点の1つが「お別れ」である。『366日』は、20年前に出会ってお付き合いしていた大好きだった人との思い出を巡る物語。『ファーストキス 1ST KISS』は、離婚を決めた夫婦の突然の死別から始まる15年の時を超える別れ直しの物語。『恋脳Experiment』は、1人の女性が5歳から社会人になるまでの中で経験した数々の別れを描いた物語。

 これらは物語の「恋バナ」化の進行とも言えるだろう。運命的な出会いから生まれる夢のようなラブストーリーから、誰にでも訪れる可能性のある別れの物語へ。ただ結ばれて、幸せになって終わるのではない。恋愛映画がより現実的な進化を遂げた形であり、そうしてよりたくさんの人の感情を揺さぶることができる。昔の別れに共感するもよし。今の恋と併せて観るもよし。未来の出会いのための参考書としてもよし。甘く切ない思い出、素敵なお別れ、あらかじめ離れ離れになっている恋。喪失の疑似体験と、そこからの回復の方法を描く段階へと恋愛映画はシフトしているのだ。

『366日』©2025映画「366日」製作委員会

 また、これら3作品にあるもう1つの共通点が映画の中で経過する時間のボリュームだ。それぞれが、主人公たちの15年から20年に渡る生活を物語っている。恋愛それだけを劇的なドラマとした「めでたしめでたし」では終わらないストーリーを描く。また、別れを通して人々の変化を描くにあたっては、その20年という規模の時間も重要な設定の1つとなっているのではないだろうか。こうして1つの恋愛を、人生の中の1つの選択肢としてより強調して見せられる。ここまでが現在の恋愛映画が多様性と向き合うための準備となっているとも言える。そして、人がその人生を通して恋と、ひいてはそのお別れといかに向き合うかというアプローチに関しては、ここから見事に三者三様な結論を用意してくれている。

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