SFドラマ『火星の女王』が描く、古くて新しい人類の問題ーー小川哲の原作小説から読み解く、その奥深いテーマ

『火星の女王』古くて新しい人類の問題

 NHKは、12月13日から3回にわたってSFドラマ『火星の女王』を放送する。すでに同タイトルの小説が10月に発表されているが、それは小川哲がNHKから人類が火星で暮らす未来を描くドラマの原作を依頼され、執筆したものだ。『火星の女王』は「放送100年特集ドラマ」として製作されており、小川の原作小説はそれに似つかわしい深みのある内容である。

 舞台は、2125年の地球と火星。人類は、ISDA(惑星間宇宙開発機関)を中心に、40年前から火星への移民を進めてきた。企業がスポンサーとなって現地にコロニーが作られ、火星の人口は増加した。だが、費用はレアメタルの採掘で回収できるはずだったのにトラブルが続き、火星への投資は減少に転じた。このため、「地球帰還計画」(実質的には「火星撤退計画」)が進められたが、地球へ行くには高額な渡航費を自ら負担しなければならない。また、重力の変化に耐えられる体力も必要となる。火星の開発が期待通り進まず、薬品など必要なものの多くを地球に依存せざるをえない現状がある。火星側には、自分たちの暮らしを制約する地球側に不満を抱く者が多かった。

 そのような状況で生物学者のリキ・カワナベが、火星の地底湖で採取したスピラミンという物質の特殊性を発見する。スピラミンの一部は結晶構造を変化させる性質があり、しかも遠く離れた場所のべつのスピラミンも同時に変化するのだ。この物質の不思議な同期の現象はなにを意味するのか、なにに利用できるのかはまだわからない。だが、カワナベの研究を支援する実業家で火星の有力者であるルーク・マディソンは、発見について過大な発表をし、スピラミンを地球との外交カードに使う。

 一方、かつてのISDA火星支部長で現在は地球に戻りISDA種子島支部長を務めるタキマ-E1102の娘、リリ-E1102が誘拐された。火星に生まれ13年前の事故で視力を失ったリリ-E1102は、母のいる地球に帰還するのではなく、観光で地球へ行くつもりで宇宙船に搭乗する直前だった。また、スピラミンに関して地球と火星の共同研究を要求するISDAと拒否する火星側が対立するなか、その物質の盗難事件が起きる。地球と火星の対立は深まっていく。

 リリ-E1102、リキ・カワナベ、地球でリリの到着を待つISDA職員の白石アオト、誘拐事件と盗難事件を捜査する自治警察のマルという4人の視点から、複雑な出来事が語られる。英語で火星を意味するMarsが、ローマ神話における戦いの神の名に由来することは、よく知られている。だが、『Queen of Mars』の英題も掲げられたこの小説は、地球と火星の間で軍事的緊張が高まる様子を描いてはいるものの、戦闘を主題にした内容ではない。むしろ、人間ドラマとして書かれている。また、地球で生まれ地球に帰還したタキマ-E1102と火星生まれのリリ-E1102では、それぞれの星に対する意識が違う。リリ-E1102は地球に帰還するのではなく、観光で行って火星に帰るつもりで手続きをしていたのだ。そんな母と娘の軋轢がクローズ・アップされるかといえば、そうはならない。

 地球と火星が遠すぎるからだ。2つの星の間で音声や映像を送信すると、その時期ごとの地球と火星の位置にもよるが、片道5分、往復10分はタイムラグが生じる。軍事的に圧倒的に優位な地球から火星を攻撃するにしても、宇宙船で5ヵ月弱の長旅になる遠さなのだ。母娘喧嘩も戦争も簡単にはできない。『火星の女王』の帯には「地球と火星の距離、人と人の距離」とあるが、この物語の大きなテーマの1つは、距離だといっていいだろう。

 火星の住民は手首にタグが埋めこまれ、行動データはISDAがマーケティングなどに利用している。タグを使って遠くから個々人を掌握しているわけだ。居場所がすぐ把握されるその管理から逃れるため、自身でタグを外す住民もいる。タグレスと呼ばれる彼らは、ISDAから人間あつかいされない立場といえる。

 小川哲はデビュー作『ユートロニカの向こう側』で、個人情報を提供する見返りに生活全般が保証される実験都市を描いた。また、『火星の女王』では、地球の人類が火星に新たな社会を築くのに対し、小川の直木賞受賞作『地図と拳』は、日本が中国に作った傀儡国家「満洲国」をめぐる物語だった。個人と社会システムの距離、国家の成り立ちといったモチーフは、小川の関心事であり続けている。

 本作のタイトルは『火星の女王』だが、作中の火星は王制ではない。誘拐事件をきっかけにリリ-E1102が人々から「火星の女王」と呼ばれるようになる。それは、地球のバンド、ディスク・マイナーズが、かつて火星ツアーのために作った曲「火星の女王」にちなんだ呼称でもあった。だが、リリ-E1102は、地球の母と離れて育ったせいかしっかりしているとはいえ、視力を失ったというハンデがある。彼女は、初対面の相手に適当なあだ名をつけ、自分の心のなかで呼ぶのが常だった。誘拐犯たちはポテトとチップ、自分を取り調べる捜査員はポリ・オド(体をポリポリ掻くポリスだから)、ルーク・マディソンはペテン丸ゼロといったぐあいだ。ユーモラスなネーミングである。間にユーモアというクッションを置きながら、見えない相手、見えない世界と向きあい、距離をうかがう。それは、彼女が生きやすくなるために編み出した方法なのだろう。人々がリリ-E1102を象徴として無責任に祭り上げ「火星の女王」と呼ぶのと、彼女が視覚のないなかで得た情報、印象から相手にあだ名をつけるのは、かなり違う行為なのだ。

 距離に関する様々な問題が描かれる本作で最大の障害は、地球と火星の距離である。作中には、タイムラグが大きい惑星間通信のコツは、一気に捲したてることだという心得が出てくる。相手の反応がすぐに返ってくるわけではないから、普通の会話などできない。自分の主張を伝えず、相手の言い分を待っていたら、次に自分がいいたいことをいえるのは10分後になってしまう。だから、一方的にいいたいことを捲したてるのが正解とされる。そのような通信における制約が、互いに不信感をつのらせる背景にある。

 この設定でコミュニケーションの問題を追求した本作は、最後まで読めば、なるほど「放送100年特集ドラマ」にふさわしいとわかるだろう。『火星の女王』には、古くて新しい人類の問題が書かれている。

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