今村翔吾 根幹にある作家性が浮き彫りに 南北朝時代を舞台にした父子物語『人よ、花よ、』

本作のテーマは、物心ついたときには戦争が始まっていた世代が、その戦争に対して、どのような思いを抱いているのか。さらには、偉大な人物が父であるがゆえにまわりから寄せられる過剰な期待に対して、その当事者たる子が何を思うのか、である。親の遺志を継いで、子も同様に行動すべきである。無論、その思いがまったくないわけではない。けれども、果たしてそれが本当に、亡き父の願いなのだろうか。第三章「桜井の別れ」において父・正成は、幼き嫡男・正行に「俺はきっと英傑にされてしまう」と、その心情を吐露するのだった。そして「その時、お主は英傑の子として、忠臣の子として、世の中から父の如き男になって欲しいとの期待を一身に集めることになる」とも。しかし彼は最後、正行に言うのだった。「その期待に添う必要はない」「お主はお主の道をゆけばよいのだ」と。
もちろん、その歴史的な筋書きは、変わることがない。しかし、多聞丸こと楠木正行が選んだ道を、単に主君のためとするのは、物事を単純化し過ぎなのだろう(それは彼の父・正成についても同様だ)。誰のために戦ったかよりも、彼らがその困難な戦いの先に夢見た世界について、縦横に想像力をめぐらせること。それが、歴史小説の――とりわけ今村翔吾の歴史小説の醍醐味なのだ。結果を知るだけならば、歴史の教科書を読むだけで十分だ。結果よりも過程。そう、その人物の人間性は、その結果よりも過程にこそ、表れるものなのではないか。そして、本書を最後まで読んだあと思うのだ。多聞丸もまた、自らのやり方で戦いを終わらせようとした人物だったのではないかと。平清盛の最愛の子・知盛を主人公に、源平合戦とその終結を描いた『茜唄』(角川春樹事務所)、いわゆる「元寇」――とりわけ「弘安の役」で、元軍を打ち破る活躍を見せた河野通有を描いた『海を破る者』(文藝春秋)。そして「四條畷の戦い」で散った楠木正行を描いた本作『人よ、花よ、』。その主人公たちはみな、自らのやり方で戦いを終わらせようとした人物であると同時に、その先の世界を夢見た人物として、活き活きと魅力的に描かれているのだ。その意味で本作は、今村翔吾の根幹にある作家性とも言うべきテーマが、いよいよ浮き彫りになった一冊と言えるのかもしれない。
























