杉江松恋の新鋭作家ハンティング 「他人はどこまでいっても他人」を描いた竹中優子のデビュー作『ダンス』

竹中優子のデビュー作『ダンス』

 他人は他人、どんなに理解したとしても結局は別の人間、ということを書いた小説が好き。

 第56回新潮新人賞受賞作にして、第172回芥川龍之介賞候補にも挙げられた『ダンス』(新潮社)は新人作家・竹中優子のデビュ—作である。惜しくも受賞は安堂ホセ『DTOPIA』(河出書房新社)と鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)に決まった。だが、好きな小説である。竹中の前途に幸あれかし、と思う。

「今日こそ三人まとめて往復ビンタをしてやろうと固く心に決めて会社に行った」という文章で『ダンス』は始まる。三人とは、語り手の〈私〉と同じ職場の先輩社員三人だ。〈私〉はその会社に新卒で採用されて丸二年になる。三人がサボタージュ状態なので、しわ寄せがみんな彼女のところに来ているのだ。その職場で、仕事でわからないことを教えてくれて、一回り歳は違うが話しやすく、頼りがいのあるお姉さんという存在が下村さんだった。三人のうちの一人である。残念ながら三人は三人とも会社を休んでいて、〈私〉の固い決意は空振りに終わる。

 翌日出社してきた下村さんと二人で飲みに行き、〈私〉は原因が三角関係であったことを知らされる。下村さんは三人の一人、田中さんと二年間同棲していて、結婚の話も出て互いの親に相談に行っていた関係であったこと、ところが田中さんが四ヶ月前に採用された非常勤職員の佐藤さんと浮気をしていたのが発覚したこと、一週間前に破局が訪れ田中さんは佐藤さんの家に身を寄せていること、下村さんは二人暮らしだった部屋に一人で住んでいること、などなど。以上を泥酔した下村さんから〈私〉は聞かされる。以降下村さんはあれこれと理由をつけたり、つけなかったりしながら会社を休みがちになる。

 信頼していた先輩社員が恋愛の破局という割とありふれた事態によって人格破綻し、どんどん駄目になっていくのをなすすべもなく見守るという小説で、「人間ってこんなに惨めになるのかと思うと、私は何というか、ちょっと下村さんをすごいと思」う。題名の『ダンス』とは以下のくだりから採られたものだ。

——下村さんはやせ衰えていくことが生命の輝きであるかのように、苦しんでいるんだか楽しんでいるんだかよく分からないダンスを踊っているようにも見えた。(中略)下村さんが傷だらけでボロボロで消耗し切っているのは間違いないのだが、同時に下村さんはダンスを踊る才能、ダンスに夢中になる才能に輝いていた。

 〈私〉は人付き合いが苦手で、彼女が〈山羊〉とひそかに読んでいる係長からは「仕事に慣れるより、職場に馴染むことを目標に頑張って」と指導されたほど、周囲に溶け込んでいない。下村さんのダンスを眺める視線で明白なように、傍観者に徹したいのである。その〈私〉が自分とはまったく違う、人と関わりを持つことを畏れず、人に迷惑をかけても構わずに生きている下村さんとの接触を通じて、自身についての認識を少し改めていく小説でもある。

  『ダンス』の魅力は随所で発揮される笑いにある。出社拒否に向かってゆるやかに進んでいく下村さんは、自分を捨てた田中さんと佐藤さんを〈かまぼこ〉呼ばわりする。かまぼこに見えるのだそうだ。それを聞いた私は出社して、改めて二人を見る。

——ふたりとも、パソコンのモニターを向いて、かたかっとキーボードを打っている。モニター越しにそのふたりのおでこだけがぽっこりと飛び出て見える。眉毛から下、顔はパソコンのモニターに隠れて見えない。そのおでこが、かまぼこっぽいと思わなくない。

 それから〈私〉は内心で二人をかまぼこ1、かまぼこ2と呼ぶようになる。この感じである。本作は会話も特徴的で、決して深掘りするような言葉は交わされない。「同じようなところを往復するお喋り」で埋め尽くされており、どこまでも他人同士の会話なのである。その心ない感じが現実らしくもある。下村さんは酔っ払うと〈私〉に、珍妙な思い出話をする。新しい部屋を探す下村さんの仲介業者である不動産屋の太郎もする。絶妙な感じで関節を外してくるような挿話である。話の流れがちょっとだけ折れ曲がるので、妙に記憶に残る。太郎がしたのは「他人の家のお風呂を借りる旅をしている上品な老夫婦」の話だ。「学校の校長先生みたいなおじいちゃんと上品なピアノの先生みたいなおばあちゃん」が「贅沢な旅は全部し」たので今度はそうやってまったく知らない人の家に行って風呂に入れてもらう旅をしているのだという。後にその挿話を思い出して〈私〉は思う。

——私は老夫婦の気持ちを、ちょっと想像したんだった。残りの人生、ちょっとずつ他人に迷惑をかけて生きていこうと話し合ったのではないかなと。(中略)でも、ちょっとずつそうやって、誰かの世界に入り込んで、迷惑かけて、生きていっていいんじゃないか。

 他人に迷惑をかけて生きることなど思いもしない人生を送ってきた〈私〉だからそう考えるのである。この小説で書かれているのは徹頭徹尾他人だ。見えるのは相手の表層だけで、決してそれを突き破って深層に入ることはない。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「書評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる