杉江松恋の新鋭作家ハンティング 心を震わせるような想像力の文学ーー才谷景『海を吸う/庭に接ぐ』

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

 表意文字の想像喚起力にしてやられた。

 才谷景『海を吸う/庭に接ぐ』(河出書房新社)を読んでみたのだが、やはり満足度の高い一冊だった。

 やはり、というのは「海を吸う」を以前に読んでいるからだ。河出書房新社が文藝賞60周年を記念して2023年度に特例として短篇部門を設置した。そのときの受賞作で、『文藝』2023年冬季号に掲載されたのである。この短篇部門では西野冬器「子宮の夢」と才谷景「海を吸う」の2作が優秀賞に決定した。「子宮の夢」はまだ単行本化されていないが、「海を吸う」と合本で電子書籍化されているので、読むことができる。

「海を吸う」は、身体にいくつもの穴が開いてしまった、ひよりという少女を語り手とする物語だ。衣服を着ると見えない位置にだけ開いていて、肌を晒すような機会にだけ表に現れる。自分の母親にも同じような穴があるのだろうか、とひよりは考えている。

 ひよりの体に開けられた穴は、いっくんとの関係によって生じたものだ。いっくんの体にはひより以上に穴が多く、額のような場所にも開いている。開巻すぐのところに、二人が互いの穴に身体の一部を入れ合う場面がある。

――いっくんは、ひよりの腿に開いた穴に、青白い指をゆっくり入れる。真っ暗闇は、皮膚に触られた途端、弱い吸盤になって絡みつき、話さない、と必死に引き込む。

――ひよりはいっくんの横腹に開いた穴に手を入れる。穴のなかはいつも、冷たい液体で満たされていて、海のようだった。

 他人の身体に分け入ることから性交を思わせる官能的な文章だ。いっくんとひよりの穴の違いは、海である。いっくんの穴は海を思わせる液体で満たされており、ひよりは吸ったり、その中で溺れかけたりする。ひよりは穴が空気を食むために、身体はずっと痩せ続けているのに、それが開いてからいつも満腹で張り詰めたような感覚に苦しめられている。自分も海を、重さを出してしまいたいと言うと、いっくんはひよりの背に開いた穴に手を入れ「この底を貫けば、いつだって出せるようになるんだよ」と言う。

 穴の底を貫くという行為が破瓜の隠喩、というのはあまりに直截的な読みかもしれない。身体の変化や、母親の庇護から離れて一人で生きて行かなければならなくなる思春期の不安とも読めるからだ。ひよりの穴を開けた、という行為から男性性をまとっているように感じられるが、いっくんの性別は明記されていない。ただし後段に、「底を貫く」ために別の男を連れてひよりに合わせる場面がある。ここは読んでいて残酷な印象があった。

 ひよりの中には母から切り離されたことに由来する苦痛がある。母の穴に入って、自身という存在を無にしたいという願望があり「神のための、大切な体。お前が生まれなければ、お前が育たなければ、こんなことにはならなかったのに」とひよりは自分の身体について考える。

 しかし当の母はひよりに対して「筒になれるように、共に生きてあげたのに」としばしば口にする。筒になるとは貫通することであり、いっくんの言う底を貫くということと同義に見える。母の元を離れていっくんに近づいたひよりは、結局同じようにもともとの身体から離れ、筒であり底を貫いた穴として生きることになるのだ。

 全篇に横溢する性的な雰囲気はもちろん企図されたもので、読者にそれについて考えさせるためにある。私は、語り手が女性であることから、身体を自分だけのものとして所有することができず、常に誰かによって搾取されてしまう女性性について書かれた小説としてまず読んだ。そこまで社会的な視野に広げずとも、成長の痛みについて書かれたものと受け止めることも可能だろう。穴という単語が、それについての詳細な情景描写を伴うことで、読者に書かれたこと以上の想像を催させる。

 もう一篇の「庭に接ぐ」は、「庭が、寝室にやってくる」という一文から始まる小説だ。語り手の〈私〉は父親と庭のある家に住んでいる。その庭を、森が常に侵食してくる。というよりはもともと森の一部なのだ。父親が森の一部を切り開いて庭を作ったのだ。

〈私〉と父親の生活は、ある瞬間から崩れ始める。〈私〉は「黒い塊」のようになった父親を発見する。「泥と腐敗した糞尿に覆われ」た姿は「森の底から這い出してきた怪物のようだった」と表現される。〈私〉の問いに対して父親は、森が「入ってきたんだ、この体のなかに」と答える。

 ここから〈私〉は変容していく父親の世話に追われることになる。それは深刻な事態で、〈私〉は父親の世話をするため家に閉じ込められてしまう。理性を失って凶暴化する父親を部屋に閉じ込めているのだが、〈私〉もまた家に幽閉されているのだ。

 いわゆるヤングケアラー、肉親の介護によって人生を奪われるという関係を描いたものとも読める。理性を失った父親は〈私〉にとって性的な脅威であるようにも見える。我を失った父親から〈私〉が暴力を受ける場面がある。目を覚ますと父親が鋸を手に迫ってきていた。刃によって皮膚を引き裂かれながら語り手は「私のなかにも森があると、いうのだろうか」と考える。身体の中に潜むものを取り出そうとする父親によって〈私〉は「鋭い痛み」を与えられ続ける。

 ようやくのことで庭へと逃げ込んだ〈私〉は「流れる血が土に滴るたびに、父の庭は剝ぎ取られ、見たことのない庭の景色が広がるよう」だと感じる。かつて父によって作られ、〈私〉にとっては安心の象徴であった庭は、失われてしまったのだった。

 庭と森という二語が対比関係として用いられており、前者に対する信頼が崩れて禁忌の対象であった森と同化、もしくは逆転して森こそが安心の場になっていく。これも多様な読みを許す小説だ。表意文字に想像の源泉を集約し、読者にゆだねているからこそである。小説でしか成立しない技法ではないだろうか。

 才木景の小説は今のところこの二篇しか読んでいないのだが、恐るべき才能だと思う。2000年生まれというからまだ20代半ばか。心を震わせるような想像力の文学をぜひたくさん書いていただきたい。

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