武田信玄は娘・松姫からどう思われていたのか? 『風林火山のむすめ』木下昌輝が考える、戦国を生きた女性の戦い方

木下昌輝が語る、『風林火山のむすめ』

 武田信玄の娘・松姫(信松尼)を主人公に、戦国を生きた女性の苛烈な運命を描く木下昌輝の小説『風林火山のむすめ』。父・信玄への愛憎、武田家滅亡後の逃避行、そして300年後へと繋がる歴史の意外な結び目――。伝奇ロマン、活劇、サスペンスの仕掛けを凝らしながら、歴史小説ならではの「地続きの驚き」を追求した本作について、創作の背景を聞いた。

武田信玄は英雄でなく梟雄だった?

――本作『風林火山のむすめ』は、表題の通り、武田信玄の娘・松姫(信松尼)の物語です。この人物を主人公として書こうと思ったのは、どんな理由からだったのでしょう?

『風林火山のむすめ』(木下昌輝/双葉社)

木下昌輝(以下、木下):きっかけは、信玄に対しての疑問点です。信玄は、滅ぼした相手の妻を自分の妻にしたりとか、どう考えても悪いことばっかりしてるじゃないですか。にも関わらず、英雄として扱われているのか。それが、ずっと気になっていたんです。

――父・信虎の追放に始まり、今川家や織田家に対する裏切りなど、たしかにやっていることは、むしろ梟雄に近いような気もしますね。

木下:そうなんです。今回の小説は、そういう疑問点から出発したようなところがある。その中で、なぜ松姫を取り上げることになったのかというと、同じ双葉社さんの雑誌で連載させてもらっていた歴史エッセイがありまして。

――昨年、連載をまとめたものが『プロの歴史作家が教える 歴史作家の㊙ネタ帳』として出版されましたね。

木下:そうです。それを書くために、歴史の小ネタみたいなものをいろいろ集めていたんですけど、そのときに「信玄には、松姫という娘もいたのか」と改めて気づいて。松姫がやったことは、それこそ300年後とかにわかるわけじゃないですか。そこで松姫と会津藩が繋がるのか、と。ものすごい運命だし、その松姫を主人公にしたら、「信玄の悪行」とも繋げられるんじゃないかと思ったんです。それで、巻末に挙げた参考文献をいろいろと読み込んだり、八王子にある松姫のお寺「信松院」を訪ねてみたりして、編集者と相談しながら、本作の方向性が固まっていきました。

――この「松姫」(出家したあとは「信松尼」と称した女性)は、これまで小説やドラマなどで描かれてきた人物なのでしょうか?

木下:「主人公として」というのは、恐らくそれほどないはずです。三谷幸喜さんの『清須会議』とかにチラッと登場したりとか、そういう描かれ方はいくつかあるみたいですけど、誰もが知っているような歴史上の人物ではない。ただ八王子では、結構有名みたいです。

――松姫について基本的なことを整理しておくと、武田信玄の四女で(諸説あり)、同母の兄が仁科盛信。幼い頃に、織田信長の嫡男・信忠と婚約するも、父・信玄が織田家と同盟関係にある徳川家康を攻めたことから、それが破棄された……という。

木下:信忠の婚約者になるのって、当時としてはなかなかすごいことじゃないですか。結構なビッグカップルというか。にもかかわらず、信玄の行動によってそれが破棄されるというのは、ひとりの女性としても、かなり波乱の人生ですよね。家の都合にめちゃくちゃ振り回されていて。

――「ザ・戦国」って感じですよね。

木下:そういう意味で、戦国時代を生きた女性の「生き様」みたいなものを描く面白さが、きっとあると思ったし、松姫は絶対、信玄のことが嫌いだったんじゃないかと思って。自分が嫁ぐ予定の家と、いきなり戦い始めて勝手に死んでいくわけですから。戦国時代はそういうものだったのかもしれないけど、あんまりにも勝手すぎる。ただ、今回の小説の中にも書いたんですけど、松姫が晩年に描いた信玄の初陣の絵っていうのが残っていて。それを見ると、信玄のことをめっちゃ美男子に描いているんですよ(笑)。あんなにも人生をめちゃくちゃにされたにもかかわらず、やっぱり松姫は、信玄のことが好きだったのかなって思ったり……。

――父と娘の、愛憎入り混じる複雑な関係がありそうです。

木下:そうですね。なぜ信玄は、あんなにひどいことをしつつも、そんなに愛されているんだろうかっていう。それを、小説のテーマとして取り上げたかった。以前書いた『秘色の契り』という小説も、結局「蜂須賀重喜」という人物が名君なのか暗君なのか、いろいろ読んでもわからなかったので、そのままそれを「問い」にして書いてみようっていう感じだったんです。なので、手法としては、それと似ているようなところがあります。

『ドラゴンボール』からのインスピレーション

――信玄の跡を継いで武田家当主となった勝頼(母親の違う兄)の死によって、実質的に武田家は滅びるわけですが、難を逃れた松姫は、甲斐の国から八王子まで落ち延びていきます。

木下:「敗者」というか「弱者」を書いてみたかったんです。たとえ弱き者であっても、やり方次第では勝者になれるっていう。もちろん松姫は、そのまま「敗者」として生涯を終えるんですけど、300年という長いスパンで見たら、松姫が残したものが、結局は勝ったような気がして。何を持って勝者とするのかは、はすごく難しいところですけど、もしかしたら松姫のように生き延びて、信玄の教えを後世に伝えるほうが勝ちだったんじゃないかとも思えるんです。松姫みたいな次世代に託す戦い方も美しいじゃないですか。

――本作の主人公は、基本的には松姫ですが、それと並行して途中から、若かりし頃の父・信玄の物語も描かれています。そういった構成の妙も含めて、本作はエンターテインメント的な仕掛けの多い小説になっていると思いました。どういう狙いからだったのでしょう?

木下:今回は「活劇」をやってみたいという思いがあったんです。馬に乗った女性が、敵をやっつけるみたいな。僕、『ドラゴンボール』の「ナメック星編」が好きなんです。

――鳥山明さんの漫画『ドラゴンボール』ですか?

木下:そう(笑)。「ナメック星編」の序盤って、悟飯とクリリンがナメック星でドラゴンボールを集めますけど、もしフリーザに遭遇したら、二人なんて瞬殺されてしまうわけです。にもかかわらず、仲間たちを生き返らせるために、頑張ってドラゴンボールを探すっていう。その話が、すごい面白くて好きなんですよ。何かそういうヒリヒリした感じが出せたらいいなっていうのはありました。

――なるほど。登場人物に目を向けると、割と最初のほうから出てくる「長岌(ちょうきゅう)」という人物が、結構狂暴なキャラですよね。彼の従者の「道鬼坊」は、山田風太郎の伝奇小説に登場するような異能者ですし。

木下:長岌は、『ドラゴンボール』のフリーザと『アルスラーン戦記』のヒルメスを足して、二で割ったような感じにしました(笑)。松姫の命を狙う人物として、最初は別の人を考えていたんですけど、その人が松姫の命を狙う必然性があまりなかったので、誰か他にいないかなって探したら、こんな人(長岌)がいたんだっていう。

――長岌は実在の人物なんですよね。

木下:そうなんですよ。詳しいことはよくわかっていないみたいなんですけど、ひょっとしたら生き残っていたかもしれないっていう話があって。だったら、これはいいかもって思って。彼だったら、松姫の命を執拗に狙い続ける理由があるんじゃないかっていう。

――あとは「封印紐」ですよね。信玄の5つの悪行に対応する5つの封印紐があって、それを全部集めると……って、それこそ『ドラゴンボール』のような(笑)。

木下:そうですね(笑)。やっぱり、何かを集める物語ってテンション上がるじゃないですか。それに、「残りはいくつ」みたいな感じでカウントダウン要素もあるからすごくいいなと。封印紐は、「茶道具を締める紐は封印結びをする」みたいな話を以前聞いたことがあって、自分の小説でいつか使ってみたいと思っていたんです。そこにメッセージ性とかを絡めたら、面白いんじゃないかっていう。最後に甲斐の国を俯瞰するような感じでその秘密が明らかになったら、物語のテーマ的にもきっと合うんじゃないかなって思ったんです。

300年後に“答え合わせ”をする物語

――本作は、そういう仕掛けが満載というか、伝奇ロマン的なサスペンス要素もありつつ、アクションもあって、最終的には点と点が線で繋がるような面白さもあって。これまでの木下さんの作品とは、少しテイストが違うように感じました。

木下:そうですね。でも、点と点が繋がるような話というか、活劇はやりたかったんですけど、それ以上に歴史小説としての味付けはちゃんとしたいと思っていて。松姫が信長と対峙するところも、活劇的な面白さ以上に、お互いの歴史観をぶつけ合って戦うみたいな感じにしたかった。で、300年後にその答え合わせをするというか。そういうところに歴史小説の醍醐味があると思うんです。答え合わせの説得力を出すための裏付けは、活劇以上にきっちり書きました。

――たしかに、終盤は、史実と繋がるところが多々あって驚きました。

木下:僕は『陽だまりの樹』っていう手塚治虫の漫画が好きで。「手塚良仙」っていう医師が出てくるんですけど、最後のページに「手塚良仙は、私の三代前の祖先である」って書いてあって。それを読んだとき、めっちゃ感動したんです。ちょっと鳥肌が立ったというか。物語の世界にこっちが入り込んでいると思ったら、この現実自体が物語だったんだみたいな驚きがあって。そういうふうに、この世界そのものが物語だったんだっていう感動が、歴史小説の醍醐味だと思うし、その感動を、今回の小説でも味わってほしいなって思います。

――そういう意味では、普段あまり歴史小説を読まない人――それこそ、漫画とかアニメに親しんでいる人たちにも入りやすい小説になったんじゃないですか?

木下:そう思ってもらえたなら嬉しいです。特に活劇の部分は、何も知らなくても楽しめると思うので。それこそ、『ドラゴンボール』の「ナメック星編」が好きな人にも、ぜひ読んでみてもらいたいです(笑)。

――ところで、木下さんは『宇喜多の捨て嫁』で作家デビューしてから10年以上経ちますが、書きたいものが変わってきたりするものですか?

木下:昔はやっぱり、自分にしか書けない物語を書きたいなって、ずっと思っていたんです。だから、それまで誰も書かなかった「衆道」という武士の同性愛を主題にした小説『戀童夢幻』を書いてみたりしたんですけど、今はそれよりも、誰でも書ける物語を、誰よりも面白く書きたいというふうに変わってきたかもしれないです。同じ物語でも、ちょっとした角度の変え方とか、話の入り方の違いで、面白さが変わってくることがあると思うんです。

――今回の『風林火山のむすめ』は、まさにそんな感じの小説だったような気がします。

木下:ありがとうございます。あと、テイストとか作風みたいなものは、あくまでも編集者との打ち合わせの中で決めていくというか、そのテーマに合った感じで書くようにはしていて。そこまで意識しているわけじゃないけど、その作品というか、物語がいちばん活きるような書き方ができればいいのかなと思うようになりました。僕の場合は、極端な話、作家としての個性みたいなものはそこまで必要ないと思っていて。もちろん、そういう作風・個性が大事な作家さんもいるとは思うんですけど、物語がいちばん活きるような書き方が、僕にはいちばんいいんじゃないかな。

歴史小説だからできる“地続き感”

――なるほど。少しスケールの大きい話になりますが、今の時代に歴史小説を書く、あるいは読む意義や意味みたいなものって、どんなところにあると思いますか?

木下:敢えて言うのであれば、現代とリンクするっていうところですかね。今回の作品でも、今川家による「塩留め」の話とか出てきますけど、まさにホルムズ海峡の封鎖じゃないですか。そういう意味では、人間、やっていることはそんなに変わらないっていう。そうやって現代とリンクするところは、やっぱり面白いですよね。

――ちなみに、現代ものを書く予定はありますか。

木下:現代ものも書いてみたいとは思っています。歴史小説でデビューしたから、その流れで今も歴史小説を書いている感じなんです(笑)。ただ、歴史小説という枠の中でも、まだまだ面白そうな題材が見つかるので、それはものにしたいという気持ちもあります。個人的に歴史もののほうが書きやすいのかもしれません。

 歴史小説の場合は、割と長いスパンで物事を見ることができるけど、今から300年後がどんな世界になっているかなんてわからないし。

――先ほど言っていたように、過去の話なのに、結局のところ現代と地続きになっていく驚きみたいなものは、歴史小説ならではの面白さですよね。

木下:そうなんですよ。もちろん、手塚治虫の『火の鳥』みたいなやり方で、一話ごとに時代背景を変えていくという手法もできないことはないですけど、歴史小説だからできる地続き感というか。僕は浅田次郎先生の『蒼穹の昴』とかも好きなんですけど、あの話も冒頭のほうで宦官が出てきて『三国志』みたいな世界だなって思って読んでいたら、次の章ぐらいで今度は日本とアメリカのジャーナリストが出てきて、すごいなって思って。『三国志』的な時代であると同時に、日本では文明開化後の時代だったという。その驚きには得も言われぬ感覚があるというか。それこそ、歴史を感じる瞬間でもあるっていう。

――僕も先日、シェイクスピアと同時代の日本人って、誰になるんだろうと思って調べたら、細川忠興・ガラシャ夫妻とか出てきて、「おおっ」ってなりました(笑)。

木下:そういうのって面白いですよね。チャップリンの映画が日本で公開されたときの記事を読んでいたら、「天保生まれのお婆ちゃんも感動」って書いてあったりして。そうか、チャップリンの映画って、天保生まれのお婆ちゃんも観てたんだっていう。新選組の永倉新八が明治時代まで生き延びて、映画館で映画を観て感動したっていう逸話を読んだりとか。そういうのって、何かすごい感動するんです。そこがやっぱり、歴史の面白さ、歴史小説の醍醐味なんじゃないかと思います。

木下昌輝

■書誌情報
『風林火山のむすめ』
著:木下昌輝
価格:2,310円(税込)
出版社:双葉社

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