第172回芥川賞・直木賞、選考結果に文芸評論家「納得」 良作そろった受賞作の魅力を読み解く
第172回芥川賞・直木賞の選考会が1月15日、東京都内で開かれ、受賞作が発表された。芥川賞は安堂ホセ『DTOPIA』(デートピア)と鈴木結生『ゲーテはすべてを言った』のダブル受賞となり、直木賞は伊与原新『藍を継ぐ海』が単独で受賞した。
文芸評論家の杉江松恋氏は、いずれも納得のいく選考だったと振り返る。特に『DTOPIA』は、デビュー3作が全て芥川賞候補に選ばれた新鋭作家の最新作で、大本命だった。
「昨今、文学においても“当事者性とは何か”という議論が続いてきましたが、市川沙央さんの『ハンチバック』(※第169回芥川賞受賞作。“障がいを持つ作家が障がいを描いた小説”として注目された)には、そうした文学の潮流にいったんの区切りをつけたのではと感じるほどの衝撃がありました。そんななか、マイノリティとして視野の外に追いやられてしまう存在を他人が語ることの加害性を先鋭的に描いてきた安堂さんが台頭し、 第1作「ジャクソンひとり」、第2作「迷彩色の男」に続き、『DTOPIA』でもLGBTQの問題について、読者を作中に引き込んだ上で偏見や欺瞞を訴えている。この数年の芥川賞をウオッチしていた人であれば、本作が受賞すると考えていたでしょう。社会に対する問題意識だけでなく、冒頭からリアリティーショーを描き、そこから二人の少年の物語を通じてセクシャリティの問題が浮き彫りにされていくーーという構成で、過去作と比較しても一般読者を引き込む力がグンと上がっていました。そのあたりも評価されたのではないかと」
一方の『ゲーテはすべてを言った』も、アカデミズムの世界を舞台に人文科学衰退の状況を示しながら、エンターテインメント感もある作品で、受賞にふさわしいと杉江氏は語る。
「主人公は、ゲーテが言ったとされる不確かな箴言を求めていくなかで、量によって質がスポイルされているネットの大海にたどり着きます。嫌味なく知識を盛り込みながら、知とは何か、教養とは何かを描いており、英国で人気のユーモア小説のような手触りもありました。ミステリの要素もあり、こちらもしっかりエンターテインメントになっている。文句なしに面白い小説です」
それでは、バラエティ豊かな良作がそろった直木賞において、『藍を継ぐ海』が受賞したポイントはどこにあったのか。杉江氏は、昨年NHKでドラマ化された『宙わたる教室』をはじめ、もともと質の高い作品を世に送り出してきた作者の“進化”に注目する。
「伊与原さんは理系(※東京大学大学院・理学系研究科博士課程を修了)の作家で、科学的知識を土台にして、その上に良質な人間ドラマを描いてきました。『藍を継ぐ海』に収録された5篇の短編もそうですが、今作では地域性と歴史の要素が加わっていたのがポイントだと思います。例えば、『祈りの破片』は長崎県が舞台となり、原爆の影響を受けた遺物が大量に放置された空き家が登場する。いずれの短編も科学的な知見を活かしながら、人々の暮らしを通じて現代の日本を描いているのが好ましく、時代全体を覆うような包容力、優しさのある作品です」