鳥山明『ドラゴンボール』を改めて読む 古典的な「面白い物語」のパターンをどう取り入れたか

鳥山明の圧倒的「センス」を分析

ニセモノが本物になる物語

  黒澤明の『七人の侍』の主人公は、設定上は志村喬演じる島田勘兵衛ということになるのだろうが、じっさいに映画を観た者の心に強く訴えかけてくるのは、三船敏郎が演じた菊千代という豪快な漢(おとこ)の生き様だろう。

  百姓の出自であることを隠し(勘兵衛たちには最初からバレているが)、「七人」の1人になった菊千代は、恐ろしい野武士集団から村人たちを守り、「侍」として戦死する。つまり、『七人の侍』という映画は、ある意味では、“ニセモノが本物になった話”としても観ることができるのだが、この種の物語も実はエンタメ作品の定型の1つである(よく知られているところでは、脚本家の三谷幸喜がこのテーマで繰り返し物語を書いている)。

 『DRAGON BALL』でいえば、あの愛すべき“英雄”、ミスター・サタンに注目していただきたい。ミスター・サタンは、孫悟空らが出場しなくなった時期の天下一武道会の優勝者だが、人造人間・セルや魔人ブウの前では何もできない臆病者(名ばかりの世界チャンピオン)として描かれる。しかし、臆病者ではあるが優しい心の持ち主でもある彼は、実はセル戦でも魔人ブウ戦でも、彼なりのがんばりを見せて、正義の側の勝利に陰ながら貢献してもいるのだ。

  とりわけ物語のクライマックス――「超元気玉」を魔人ブウに放とうにも、傷ついたベジータが危険区域にいるためなかなか放てずにいた悟空をフォローするため、ミスター・サタンが見せた勇気ある行動は、多くの読者の胸を打ったことだろう。その姿を見て、悟空もいう――「やるじゃねえか サタン!!! おめえはホントに 世界の…救世主かもな!!!!」

  そう、この瞬間、ミスター・サタンは真の意味での世界チャンピオンになったのである。

  以上、いささか簡単にではあるが、『DRAGON BALL』に見られる「面白い物語」のパターンをいくつか紹介した。周知のように、同作は長い連載の中で、コメディ調のトレジャー・ハンティング物(『西遊記』のパロディ)から、トーナメント戦による格闘物、そして、この世とあの世を巻き込んだ宇宙規模のスーパーバトル物へと変化していったわけだが、終始、作品の核の部分がブレなかったのは、作者がこうした「物語の定型」や「少年漫画の王道」を理解したうえで、キャラクターたちを自由に動かしていたからではないだろうか。鳥山明といえば、何かと「漫画の表現を革新した作家」として語られがちだが(そして、それは間違いではないのだが)、それと同時に、「基本」に忠実な物語の作り手でもあったのである。

トップ画像:©️バード・スタジオ/集英社・東映アニメーション

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる