『白鳥麗子でございます!』著者・鈴木由美子が描いた強烈な女性像 現代に通じるメッセージを読む

『白鳥麗子』鈴木由美子を再読

 筆者がまだ子どもだった80年代は、性別にステレオタイプを押し付けるのが当たり前だった。だが、アメリカではすでに女性の社会進出が進んでいたし、日本でも女性が女性であることを楽しむ風潮が後押しされ始めていたため、筆者は幼いながらにして「女性とは」を考える機会が多かったと思う。

 そんなときに、強烈なインパクトで登場したのが鈴木由美子著『白鳥麗子でございます!』(講談社)だった。手を口元にあてて腰をそらせ、「オーホホホホホ」と高笑いするご令嬢 白鳥麗子は、「変わっているけれど憎めない愛すべき女」で、それまでの女性キャラクターの概念をぶち壊した。同氏は立て続けに『いけいけ!バカオンナ』、『オマタかおる』、『おそるべしっっ!!!音無可憐さん』、『カンナさん大成功です!』といった強烈な女性を主役にした作品を発表。それらは、当時の女性へのエンパワーメントとなった。

 思い返すと、これらの漫画は今の自分の性格形成に影響を与えていると思う。この記事では改めて鈴木由美子氏(以下敬称略)が生んだ愛すべきキャラクターと、その世界を掘り下げる。

女は単純で複雑でバカで素直である

 鈴木由美子の漫画に登場するキャラクターの特徴は、一言では表現できない。そのキャラクターをどの側面から見るかで、単純にも複雑にもバカにも見えるからだ。

 例えば、『白鳥麗子でございます!』の白鳥麗子は、非常に高飛車で傲慢で同性の友達はひとりしかいない。だが、それは彼女の表面的な部分でしかなく、周囲が勝手に作り上げたイメージなのだ。麗子は周囲の期待に応えないといけないと思い込んで、イメージ通りの人格を演じてしまっているだけ。本当は不器用で素直な人だ。そんな彼女の本質は、じっくり付き合ってみないとわからない。

 『カンナさん大成功です!』は、全身整形で人生の大逆転に挑む神無月カンナが巻き起こすドタバタ恋愛コメディ。カンナは容姿が原因でいじめられた過去があり、美人に対して強い憧れを抱くと同時にステレオタイプを押し付ける傾向がある。整形美人の視点から描いた本作は、ルッキズムという言葉が一般的になる前から、人々に「美人とは」「不美人とは」を問う。連載当時、渋谷を中心としてコギャル文化がさかえ、派手に着飾った少女たちに対する偏見やレッテルを貼る行為が多くみられた。そこに一石を投じる意味もあったのだろうと思う。

レッテルからの解放

 2例しか出していないが、鈴木の描く女性キャラクターは、一様に“意外性”を持つ。そして、美人で派手だからといって遊び人ではない、というメッセージが繰り返し伝えられている。それは、作者である鈴木自身が比較的派手な部類に入る女性だったからではないだろうか。

 巻末に収録された作者の日常や制作裏話を紹介するコーナーでは、作品に登場するサブの美人キャラクターの設定やエピソードが、作者の身の回りで発生したものであるといった旨も書かれている。鈴木は、日本における女性の活躍とステレオタイプからの解放が進む時代を生きる中で、ルッキズムの息苦しさを嫌というほど感じていたのではないだろうか。そして、そのレッテルは異性だけでなく、同性からも貼られている、と。

 ステレオタイプに意外性を組み合わせたキャラクター作りはハリウッドのアニメなんかでは一般的だが、90年代の日本、しかも女性をターゲットにした漫画では珍しかった。おそらく、“レッテルからの解放”や“ステレオタイプの破壊”を真正面から議論しようとしても素通りされただろう。そこで、鈴木は、強烈なキャラクターが登場する恋愛コメディ漫画として発表したのだ。90年代から2000年代初頭にかけて継続的に発表された作品たちは、映像化しやすかったこともあり、次々とドラマ化されて、ひとつのムーブメントに成長していった。

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