シャアとシャリアの関係性、小説版『機動戦士ガンダム』と『GQuuuuuuX』ではどう違う?

■富野由悠季の小説版『機動戦士ガンダム』からの影響
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX Beginning』にて観客の度肝を抜いた、一年戦争の語り直し。その中でも衝撃的だったのが、シャリア・ブルがシャアの右腕となり、ブラウ・ブロにそっくりなモビルアーマー「キケロガ」に乗って二機編隊で一年戦争を戦い抜き、ジオンを勝利に導く……という前半部分のストーリーだった。このシャリアとシャアの関係は、富野由悠季による小説版『機動戦士ガンダム』からの影響が感じられる。
小説版『ガンダム』にはアニメ版との相違点が数多く存在する。シャリア・ブルに関する描写も、両者の大きな違いのひとつである。アニメ版では第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」のみに登場するゲストキャラクターで、木星帰りのジオン軍将校として登場。モビルアーマーのブラウ・ブロに乗って戦うも、ガンダムに撃墜されて戦死する。ニュータイプの素養を持つ人物ではあったものの、ストーリー的には「アムロの反応速度が早すぎて、ガンダムの操縦系統が壊れる」という描写の方が印象的な回であり、1話限りのゲスト悪役という感が強い。もっとも、シャリアが噛ませ犬っぽくなったのは放送期間の短縮という理由もあるようで、テレビ版が当初の予定通り全52話放送できていれば、もっと存在感のあるキャラクターになるはずだったという。
対して、小説版のシャリアは本編中盤から登場する。小説版は全3巻で構成されており、アニメ版で強烈な印象を残したララァ・スンは第1巻の終盤で戦死してしまう。シャリアはララァ戦死後に登場するキャラクターとなっており、キシリア隷下でシャアが指揮を取るニュータイプ部隊のメンバーに組み込まれる。リック・ドムに搭乗してシャアとともに転戦し、最後はブラウ・ブロに乗ってアムロと対峙。大戦の元凶であるギレンを共に倒すべく、ニュータイプの力を使ってアムロに共闘を持ちかけるという重要な任務を果たそうとする。
『GQuuuuuuX』でのシャリアの立ち位置に近いのは、どう考えても小説版の方である。小説版ではシャリアのほかにもニュータイプのパイロットが複数登場してシャアと共に戦うが、シャリアはその中でも年長で落ち着いたキャラクターとして描かれており、シャアの信任も厚い。二機編隊でジオンを勝利に導くというほどの大活躍はしていないが、キャラクターとしての重要度もシャアとの関係の濃さも、アニメ版とは大違い。『GQuuuuuuX』で「ニュータイプの問題を主軸としてストーリーを作る」という時に、小説版のシャリアが参照されたことは間違いないだろう。
しかし、小説版とアニメ版でキャラクター性が異なるのはシャリアだけではない。ガンダムシリーズ屈指のねじくれたキャラクターであるシャアも、小説版とアニメ版では大きく行動や印象が異なるのだ。
小説版とアニメ版のシャアの大きな違いとして、ガルマ・ザビの戦死に関する関与のしかたがある。アニメ版ではシャアはガルマを嵌めるべくホワイトベースへの攻撃をそそのかし、最後はガンダムをガウで追跡するよう誘導されたうえ、シャアに裏切りを告げられる。ガルマは最後にガウでホワイトベースに特攻しようとしたものの間一髪でかわされ、「ジオン公国に栄光あれ!」と叫びながら戦死した。アニメのシャアは、自分を親友だと思っていたガルマを自発的に罠にかけ、死へと追い込んだのである。
対して、小説版では様相が異なる。ガルマはルナツーの連邦軍を監視するジオンの拠点「キャルフォルニア」の司令官として登場。シャアはガンダムを搭載しているペガサスをキャルフォルニアの方向へと追い込み、ガルマの部隊と協力して挟撃しようとする。が、ガルマはアムロのガンダムを筆頭とするペガサスのクルーの奮戦によって返り討ちにされ、ガウに乗ったまま撃墜される。
この戦闘において、シャアはガルマを嵌めようとしていない。ペガサスをキャルフォルニアの方向へ追い込んだのは純粋にガルマと共闘するためであり、ザビ家の末子を暗殺するという意図があったとは書かれていないのだ。ガルマがペガサスと差し違えようとしている時には「木馬が父の敵討をしてくれるのだから、黙って見ていればいいのではないか」という考えもシャアの脳裏に浮かんでいるが、敵に突っ込もうとするガルマに思わず「よせ!」と叫びかけてもいる。決してガルマを能動的に謀殺しようとしていないのが、小説版のシャアなのだ。
アニメ版においてガルマを謀殺してしまったことで、引っ込みがつかなくなってしまったのがシャアという人であるように思う。鷹揚でお坊ちゃん育ちだが、同時に自分をよき友人として慕ってくれているガルマを自らの謀略で殺してしまったことで、いよいよ本当にザビ家を全滅させないといけなくなってしまった。そしてザビ家掃討というゴールにいささか中途半端な形で達してしまった結果、シャアという人はその後も因果な人生を歩み続け、『逆襲のシャア』ではとうとう人類全体をリセットしようとしてしまうのである。シャアの人生が捻じ曲がっていく発端となったのは、「気のいい友人を100%自分の都合だけで殺した」という経験であり、シャアという人は元々はそんな業の深い行いに耐えられなかったのではないだろうか。
しかし、小説版のシャアはそんなことはしていない。ガルマの死に様に関してはそれなりにドライな反応を見せてはいるが、しかし自分から謀殺を仕掛けたわけでもない。むしろシャアとしては連邦の新兵器と戦わせることでガルマに華を持たせてやろうとしているし、特攻するガルマを止めようとしてすらいる。
思えば、アニメではシャアは自らが指揮する部隊を持ちながらも単独で戦う印象の方が強く、数機のモビルスーツで構成された部隊を陣頭指揮してチームワークを発揮する姿はあまり描かれなかった。しかし小説版ではキシリアに預けられたニュータイプ部隊を率い、シャリアをはじめとする部下と連携して戦おうとしている。さらに終盤でペガサスJr.のブリッジにあがりクルーたちと対面した際も、変にねじけた対応をせずに堂々と自己紹介し、さらには自らの妹であるセイラともしっかりと惜別の挨拶をしている。
これらの点からも分かるように、アニメや『THE ORIGIN』に比べると圧倒的に明朗快活、協調性があり人格的にも丸いのが小説版のシャアなのである。こちらのシャアは相手が部下であっても敵であっても人間関係を構築し、アムロが見せてくれた「人の調和」を信じることができる。最終的に人類全体を粛清するべくアクシズを地球に落とそうとしたアニメのシャアに比べると、ほとんど別人である。





















