人気小説家・寺地はるなを囲む座談会 注目作『カレーの時間』から紐解く寺地作品の魅力とは
2022年の注目作である寺地はるなの小説『カレーの時間』(実業之日本社)。祖父と孫息子である桐矢との物語で、終戦後と現在、ふたつの時代を「カレー」がつなぐストーリーとなっている。寺地はるなの小説には、いつも市井の人々、それぞれの人間らしい感情が丁寧に描かれる。本作にも人間が営む日常や生活、会話の情景が瑞々しく書かれていて、リアリティある作品に感動の声が多く寄せられている。
そんな寺地作品について、書店員の久田かおりさんと文芸の書評や橘もも名義で小説執筆も行うライターの立花ももさんが寺地さんを囲んで座談会を行った。寺地作品はどうして、多くの人を感動させる力があるのか。『カレーの時間』を紐解きながら、作品の魅力に迫っていく。
「寺地はるな作品に裏切られたことがないんです」(久田)
久田かおり(以下久田):寺地さんの小説を初めて読んだのが2015年の『ビオレタ』。それから私の中で寺地はるなは「裏切らない」というのがあって(笑)。寺地さんの小説を読んで、これはちょっと合わないなという思いをしたことが今までに一度もないんですよ。毎回新刊を読むたびに「好きだ‼︎」ってなりますし『カレーの時間』を読んだ時もまさに「裏切らない」って思いましたから。
立花もも(以下、立花):ずっと裏切られないってすごいですね。今作では、元レトルトカレーの営業マンで、昭和の価値観そのままの祖父であるおじいちゃんと、現代っ子の桐矢が同居するところから物語が始まります。どんなところに、そう感じたんですか?
久田:まずカレーを題材にしたのが大正解だったなって思ったんです。私、今までの人生でカレーを嫌いな人っていうのは1人しか会ったことがないんです(笑)。大体みんなカレー大好きですよね。誰がいつどこでどういう風に作ってもそれぞれ個性はあるけど美味しい。これ、寺地さんの小説どれにも当てはまると思うんです。それぞれちゃんと個性があって、裏切らない。その中で、今回はカレーを間に挟んでおじいちゃんと孫息子の関係を描いていったところが見事だし大好きな小説になりました。
寺地:ありがとうございます。
「寺地さんの作品を読んで改めて小説の力を感じた」(立花)
立花:いきなり別の作品の話で恐縮ですが、私は、最近刊行された寺地さんの『川のほとりに立つ者は』を読んで、小説の力を信じることができるような気がしたんです。というのも、ここ数年、言葉の無力さを痛感する機会がとても多くて。異なる価値観をもつ人と対立したとき、互いの信じる正しさをぶつけあうばかりになってしまい、言葉を尽くせば尽くすほど遠ざかってしまうケースを、いくつか見てきたので……。そんなとき『川のほとりに立つ者は』を読んで、「これだ」と思いました。何が正しくて何が間違っているのかなんてわからない。それでも迷いながら、多種多様の他者と手をとりあっていこうとするこの物語に描かれた優しさと希望を、きっと読者は現実に映し出していけるはずだ……と。直接的な対話とはまた違う、小説だけがもつ力というものを改めて信じさせてもらえたのが、すごく嬉しかった。
『カレーの時間』には、異なる立場の人たちを結びつける「橋」の役割をもつ人が登場しますが、寺地さんの小説そのものが橋であるし、寺地さんは今までずっとそういうことを書かれてきたのだと、今さらながら気づきました。
「書店を回って着想を得た橋というキーワード」(寺地)
担当編集:作品の中で、おじいちゃんは戦後に、食品会社に勤めレトルトカレーの営業マンになります。桐矢もカルチャーセンターの社員としてお客さんが色々な講座を学ぶために橋渡しの仕事をしています。おじいちゃんと桐矢の共通点は人に何かを届ける仕事で「橋」が一つのキーワードとして出てきます。
久田:私もこの点で深く共感するところがありました。書店員は本を売る最前線で、直にお客様に本を渡すのは私たちだっていう思いがいつもあります。この本を読んで、自分もおじいちゃんや桐矢と同じようにまさに人と人をつなぐ「橋」なんだなと思いました。
寺地:「橋」というキーワードを思いついたのは去年の10月なんです、そのことは、はっきりと覚えてるんで、私は別の新刊が出たタイミングで、書店訪問をしていたんですね。その時にお会いした書店員の方たちは本に対してみんな愛情を持って語られるんです。こういう風にしたらいっぱい買ってもらったみたいなことを熱心に話されていてすごいと思いました。私の場合、書店訪問はめちゃくちゃビビリながら行くんです。みなさんとても忙しそうにされてるので。でも実際に話をしてみるとみなさんすごく親切ですし、ゲラもしっかり読んでくださっていて本当に嬉しい気持ちになりました。そうやって書店員さんが本を売ってくださることがとてもありがたくてそのことが一つの着想になったんです。
「分かり合えないままでもいいんだよって言ってくれる」(久田)
寺地:『カレーの時間』って本当はおじいちゃんがもっと変化する話だったんです。孫という異物みたいな新しいものとぶつかって変わっていくという話を最初は構想してました。でも書いていて、ちょっとおかしいと思ったんです。
人は自分がずっと大事にしてきたものを簡単に捨てたり変えたりできるのかなって。それに「今はこの考え方が正しいから合わせなきゃ」っていうのは、暴力的なことだと思って。それから予定していた話を大きく変えて今の物語になったんです。だから人を変えたいとか、人の考えを否定するみたいな行為の重さについて、すごく書きながら考えました。
立花:久田さんが、デビュー作『ビオレタ』から作品を追い続けてきたからこそ感じる、寺田さんの進化、あるいは変わらない核のようなものはありますか?
久田:寺地さんの作品は、分かり合えない思いを変えるのではなくて、それを丸ごと受け入れて、そのままでいいんだよって言ってくれるような気がするんです。社会で生きていると、カテゴライズされることがいっぱいあると思うんです。だけど、その枠からちょっとはみ出している自分でも大丈夫だよって。背中を優しくさすってもらっているような、そんな読み心地がずっと続くんです。私このままでいいんだなって肯定してくれる、そういう小説なんだと思います。
立花:私はひねくれたところがあるので、あまりにも大団円に物語が終わってしまうと、現実ではそんなにうまく人とわかりあえないよ、と冷めた気持ちになってしまうことがあるんです。でも寺地さんの小説には、それがない。もちろん物語としてちゃんと前向きに終わるんですが、わかりやすいハッピーエンドには着地しないというか……解決しきれていないことも、わかりあえないまま終わることもあっても大丈夫、それでも前に進んでいけるんだという希望を描いてくれる。そこに、私はいつも救われたような気持ちになるんです。