人気小説家・寺地はるなを囲む座談会 注目作『カレーの時間』から紐解く寺地作品の魅力とは

「自分が嘘だと思うことは書いちゃいけない」(寺地)

寺地:ハッピーエンドには、すごく憧れる気持ちもあるんですよね。でも小説ってフィクションなんですけど、やっぱり自分が嘘だと思うことは書いちゃいけないというか。「こんなのあり得ない」と思いながら書くのはダメだと思ってます。

久田:『カレーの時間』の話に戻すと小説に出てくる三姉妹がすごい好きなんです。それぞれの個性がすごいはっきりしてる。私の身の回りにいる三姉妹は、若い時にはいろいろぶつかることが多いんですよね。でも歳をとっていくとみんなすっごく仲良くなっていく。この感じがすごいリアルで。こういう姉妹関係は、寺地さんの実体験なのですか?

寺地:私、三姉妹ではないのですが兄と姉がいるんです。姉が10歳上なんですよ。なので一般的な姉妹よりはちょっと違うのかなと思うんですけど。私の母にも姉がいて、若い頃は仲がそれほど良くなかったらしいんですが、母たちが70を過ぎたぐらいからよく電話したり、一緒に遊んだりするようになったみたいです。

立花:そんなことあるんですね。

寺地:でも仲良いけど姉妹ゆえのちょっとした軋轢みたいなのを母と伯母の会話の端々に感じたことがあって。それらの経験を基に書きました。

「私は、日常や生活というものが好き」(寺地)

立花:私、主人公が従姉の恋人に引き合わされるシーンがすごく印象に残っているんです。従姉の母親である叔母は、ふだん自分がシングルマザーであることになんの引け目も感じていなさそうに逞しく生きている人なのに、娘の幸せを願うときにはあんなにも脆くなってしまうのか、と。ああ、むしろ脆いからこそ、一人で娘を守るために強く生きてきたんだな、と一瞬の描写でうかがい知れたところがとても好きでした。『カレーの時間』は基本的に主人公と祖父の物語なんだけれど、そんなふうに、本筋ではない人間模様も丁寧に描かれているところも好きです。

寺地:私たちの日常は、たくさんの雑多なことがらで構成されていますよね。なんてことない出来事に思えるものが、じつは私たちの言動をかたちづくっている。だから小説の中にも一見本筋には直接関係なさそうな場面が入っていることがあると人間らしくていいのかなと。日常が見えることは、すごく大事なのかなと思ってて。私自身が小説を読むときも、日常や生活というものを大事に描いた作品が好きなんですよね。

立花:どなたか、影響を受けた作家さんはいらっしゃいますか?

寺地:私、井上荒野さんがすごく好きなんです。井上荒野さんの作品には、日常の思いの積み重ねの描写がすごく多い。ある事柄について、普段からこんな風に考えている人だからこそ、この発言が出たんだ、この結末なんだ、みたいなところが、すごくリアリティがあるんです。

「許すべきでないことは、許容しなくてもいい、と書いている」(立花)

立花:リアリティで言うと、寺地さんの作品では「いやな奴/悪い奴にもそれなりの事情がある」ということをちゃんと描きながら、それでも許すべきではないところは絶対に許さないとしてくださるところも好きです。そのバランスを探るのがとても難しいのではと思いますが、寺地さんはいつも必ず、しっくりくる落としどころを見つけて描いてくださっている。

寺地:たとえばAさんという人がいて、Bさんにパワハラをしているという話を聞いて、ある人が「Aさんにも色々事情があるんだろうね」って言ったとしますよね。それって事情はみんなにあるからBさんにそれを飲み込めというのは倒れてる人に対して追い討ちをかける行為だと思うんです。

立花:『カレーの時間』では、主人公の上司がわりと「飲みこめ」と追い打ちをかける人でしたよね。そんな上司に対して、主人公が「苦手な人だったけど、館長ともっとちゃんと話せばこんなことにならなかったのかも」と悔いる場面もありましたが、難しいですよね……。

寺地:そう、難しかったんです。私も館長のことを書きながらすごく腹が立ってきて、最後に絶対ひどい目に遭わせようと思ってました(笑)。この箇所は、本当に夢に見るぐらいまで悩んで、入稿ギリギリまで考えてました。

「本筋とは関係ないエピソードがあるから立体的に読める」(久田)

立花:久田さんは印象に残っているシーンやセリフはありますか?

久田:印象に残ってるセリフはいっぱいあって本が付箋だらけなんですけど。終盤、幼い三姉妹を残して出奔した祖母の秘密が明らかになる場面があります。桐矢が傷つくことや傷つく権利を奪ってはいけないって、桐矢の母たち三姉妹に本当のことを伝えるシーンはとても印象に残っています。読みながら「はっ!」となって、ここに寺地さんの真摯な思いが込められているなって思いました。

寺地:私は、実体験として「そんなことで傷つくのはおかしい」と言われることがあったんです。もっと強くならないとやっていけないよみたいな感じで。それに「守ってあげたい」みたいな言い方をされたこともあるんですが、それって結局相手を弱い者だと見做しているから出てくる言葉だと思うんです。桐矢くんが「傷つく権利がある」って言えるってことは、相手がたとえ傷ついたとしてもそれを自分でちゃんと乗り越えられるって信じてるからなんです。自分も傷つくけど、それは人に守ってもらうものではなくて、弱さを肯定してる。それは相手の弱さに対しても。嫌ですよね、実生活でも傷くことを否定されるっていうのは。

立花:傷ついたとしても、勝手に自分で立ち直るから放っといて、って思っちゃいます(笑)。

寺地:そうなんですよね。

立花:守ってあげたいと思うのは、悪意ではなく善意だから厄介なんですよね。寺地さんの小説を読んでいると、世の中には嫌な人や苦手な人はいるけど悪人ってそうそういないよね、と思います。でも、仮に善意だったとしても、ちょっとした言動が誰かを致命的に傷つけることもあるし、積み重ねが大きな被害に繋がることもあるんだよなあ、と。

寺地:そういう意味でも登場する悪人は、主人公の物語を盛り上げるために、あるいは妨害するためだけに登場させちゃうのは絶対にダメなんです。

久田:悪人ひとつとっても本筋には関係ないエピソードの積み重ねがあるからこそ、立体的に読めることに繋がってるんですね。

「寺地さんの小説は、福音の書」(久田)

久田:寺地さんの小説って、わかりやすい幸せが書かれてないですよね。それぞれに屈託を抱えたまま生きていくことが最後まで書かれている。でもそれが現実だと思うんです。だからそれぞれ自分が本当に立ち上がれないぐらい打ちのめされてる時の救いの1冊になるんですよね。寺地さんの小説を読むと、こんな私でもいいんだっていう風に思える。だから倒れてる人のそばにいて起き上がらせてくれるんじゃなくて、倒れてるけど立ち上がってもう一歩こっちにきたら、手繋いであげるから、ずっとそばにいてあげるからって言ってくれる小説。倒れた自分さえ肯定してくれる。だから寺地さんの小説は、福音の書だって私いつも思うんです。

寺地:ありがとうございます。福音、めっちゃいい言葉。日記に書いておこうと思います(笑)。

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