【江口寿史と時計】「これまでの漫画家人生を語るうえで欠かせないのが腕時計」

 江口寿史は、1970年代~80年代にかけて『すすめ‼︎パイレーツ』や『ストップ!! ひばりくん!』などのギャグ漫画で、漫画界に旋風を巻き起こした漫画家である。そして、1990年代以降は街中でその絵を見かけない日はないほどの売れっ子イラストレーターとなり、現代のイラストレーションに大きな影響を与えている。

(左から)『すすめ‼︎パイレーツ』『ストップ!! ひばりくん!』

 とりわけ、江口が描き出す女性画にはファンが多い。他にも筆者はコンバースのオールスターを描かせたら江口の右に出る者はいないと思っているが、キャラクターが身に着ける服やスニーカー、バッグやギターなどの小物まで、ブランド名がわかるほど忠実に描く。現代のイラストレーションで多く見られるこうした手法を普及させた立役者であり、今なお追従するイラストレーターは後を絶たない。

 そんな江口は実に多趣味である。ジーンズやスニーカー、そして腕時計の愛好家としても知られる。卓越したファッションセンスで描かれた女性画は、そうした多趣味に裏打ちされたものといえる。こと腕時計に関しては、自身の漫画家人生を語るうえでも欠かせない品物なのだそうだ。

吉祥寺にある仕事場で江口寿史にインタビューを実施。机に並んだ1本1本に、思い入れがあると話す。

思い出の1本はデビュー記念に手にしたセイコー

 江口寿史と腕時計の付き合いは、漫画家としてデビューしたときから始まった。熊本県水俣市に生まれ、子どもの頃から絵を描くことが好きだった江口は、20歳で初めて『週刊少年ジャンプ』の新人賞に投稿。1977年、初投稿から1年も経たずにデビューを果たし、1977年から『すすめ!!パイレーツ』の連載が始まった。瞬く間に人気作家の仲間入りを果たし、多忙を極めていた江口の傍らにあったのが、21歳の時に手にしたセイコーのデジタルウォッチである。思い出深い最初の腕時計は、なんと、デビューの記念に父がプレゼントしてくれたものという。

「『すすめ!!パイレーツ』『ストップ!! ひばりくん!』は、この腕時計を机の前に置いて描いています。この頃はそれほど腕時計に興味があったわけではなくて、あくまでも実用品として使っていました。だって、漫画家は〆切と時間の厳守が大事な仕事ですからね。……まあ、〆切を守れなかったことは、何度かあったけれど(笑)」

 ギャグ漫画家としてデビューした江口だったが、女の子をよりかわいく描けばアンケートで上位に入ることを悟り、魅力的な女性キャラクター像を追求していく。現在の江口のイラストレーションの作風は、この頃に基礎が築かれたといえるだろう。しかし、そうしたこだわりは次第に重荷となっていく。次作の『ストップ!! ひばりくん!』の連載時は、神保町にあった集英社の執筆室に泊まり込みながら、〆切間際まで原稿を描き続ける日々が続いた。ついには原稿が描けなくなり、逃亡を図った苦い思い出もあるという。そんな苦楽を共にした腕時計は今も江口の腕に巻かれ、正確に時を刻んでいる。

セイコーのデジタルウォッチ。1970年代には、デジタルの多機能なモデルが各社から競うように発売され、当時のベストセラーとなったモデルである。漫画家としての出発点となった腕時計ゆえに愛着もひとしおで、「それから18年後の1995年に偶然、吉祥寺の古い時計屋で色違いのデッドストックを発見して、買ってしまいました。値段も当時のままの25000円でしたが(笑)」とのこと。ベルトは交換済みだが、ケースの状態は年月を感じさせないほど良い。江口は、「漫画家ってあまり外に出ないから、傷がつきにくいんじゃないですか(笑)」と、笑いながら話す。
筆者が所有する『すすめ!!パイレーツ』の初版本。カバー裏に江口のコメントが載っている。「漫画家になって1年数ヶ月。執筆室にこもり、締切りにおわれ、七転八倒。七ころびやっと起きという中で描いてきたパイレーツが、こうして単行本になってみると、感無量。涙、涙……」 こうした江口の奮闘の傍らには、父から贈られた腕時計があったのだ。

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