ウエルベックは小説の初心に回帰するーー福嶋亮大の『セロトニン』評

福嶋亮大の『セロトニン』評

 今年のGWにスペインを旅行したとき、書店でイアン・マキューアンの新作や村上春樹の『騎士団長殺し』の翻訳と並んで『セロトニン』が平積みになっていたのが目を引いた――もっとも、そのときは『セロトニン』がスペイン旅行の場面を含むとは知らなかったのだが。ちょうど私たちの旅行中に実施されたスペイン総選挙では、43歳のサンティアゴ・アバスカル率いる極右政党ヴォックスが不法移民排斥を掲げて躍進した。同世代のパブロ・イグレシアス率いる極左のポデモスとまさに好一対であり、右も左もポピュリズムなしにはやれないことが改めて鮮明になったわけだ。で、コルドバで買い求めたアバスカルのインタビュー本『脊椎のあるスペイン』(オルテガの『無脊椎のスペイン』にひっかけたタイトル)を拾い読みしたところによると、彼の選対チームはTwitter、Facebook、Instagramでそれぞれ戦略を立て、メッセージをこまめに使い分けているらしい。ポピュリストであり続けるのも楽ではない……。ともあれ、やる気満々に「レコンキスタ」(国土回復)を唱えるアバスカルにとって、SNSも使えない古い保守などカビのはえた遺物も同然だろう。

ミシェル・ウエルベック『セロトニン』(河出書房新社)

 かたや『セロトニン』の46歳の主人公にして語り手のフロラン=クロード・ラブルストは、この種のポピュリストの熱狂や勤勉さとは対極のところにいる。抗鬱剤の作用によって性欲の減衰に直面している彼にとって、世界はすっかり陰鬱なものになり果てている。若い日本人女性のユズ――この名前は妙に春樹的だ――とともにスペインを旅行しても、屈辱感や孤独感が増すばかりなのだ。しかも、ラブルストの考えでは、このみじめさは西欧文明が老いや病を計算に入れないまま、幸福の個人主義的追求を許した結果にほかならない。中産階級の生み出した快適な地獄――、このJ・ G・バラード的な悪夢が彼をすっかり支配している。

 ラブルストの心の不安定さは、語りの脱線の多さに現れる。偏見に染まったヨーロッパ人男性を主人公にするのはウエルベックの常套手段ではあるけれども(それにしても「日本人は顔を赤らめない、精神構造上は存在しているが、結果はむしろ黄土色がかった顔になる」とか「日本人女性にとって〔…〕西欧人と寝るのは、動物と性交するようなものだ」っていったいどこからサンプルをもってきたのか?)、今回はかつてなく陰気な語り手であるだけに、その話ぶりはとりとめがなく、ときに妙になれなれしい。彼は自分で自分を制御できないまま、フランスの田舎を旅しながら、過去の恋人たちの思い出話を深い悔恨とともに語り続けるのだ。

 彼にとって、親の世代の幸福はすでに神話のように遥か遠くで霞んでいる。物欲もない彼の語りには、活気あるセックスへの郷愁、豊かな人間関係への郷愁が満ちている。そして、この陰鬱さはやがて『セロトニン』のテーマであるフランス農業の惨状とシンクロしていく。日本人作家になぞらえれば村上春樹のシニシズムと村上龍の情報量を兼ね備えたウエルベックは、本作でもジャーナリスティックな分析で本領を発揮した。

 1999年にはモンサントに属し、今は農業食糧省の契約調査員であるラブルストを介して、ウエルベックは自由貿易がフランスの農業を壊滅させたことを容赦なく語り続ける(この点で、『セロトニン』には反エリーティズムや反グローバリズムを基調とする「黄色いベスト運動」を予見したという評価もある――なお、ウエルベック自身、大学で農業を学んだことも見逃せない)。フランスの果樹農家はアルゼンチン産の果物に太刀打ちできない。ノルマンディーの酪農家もグローバル市場での競争に勝てる見込みはまるでない。そして、畜産業にも明るい未来は開けてこないのだ(作中では十数年前のフランスのひどい養鶏場の様子が語られるが、アニマル・ウェルフェアが不十分な日本の現状はもっと悲惨だろう)。

 こうして、本作は憂鬱なクライマックスを迎える。ラブルストの大学時代の旧友エムリックは、良心的な農業をやろうとするものの、妻に去られ、本来あるはずもない痛ましい最期を迎える。ラブルストとエムリックがピンク・フロイドの『ウマグマ』をレコードで聴くリリカルな場面は、この理不尽さを際立たせるうまい演出となっていた。グローバリズム下の「食の戦争」(鈴木宣弘)の敗者は、経済的安定だけではなく尊厳をも奪われるのだ――アメリカのバイオメジャーからの貿易自由化の要求を前にして、食の安全性と多様性を脅かされている日本人にとっても、エムリックの運命は決して他人事ではない。

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