『SPY×FAMILY』のおもしろさは“3つの大きなウソ”にアリ 漫画業界のルールを覆す斬新設定を考察
作中で3つの大きなウソが成立した名作
昔から、「ひとつの物語の中でついていい『大きなウソ』はひとつだけ」という暗黙のルールが漫画業界にはある。おそらく映画や小説の世界でも似たようなことはいわれているはずだが、要するに、ひとつの物語の中にいくつもの非現実的な設定を立てると、作品の軸がぶれる(もしくは世界観が破綻する)ということだ。たとえば永井豪の『デビルマン』における大きなウソとは「この世界に悪魔がいる」ということだが、これに「エイリアンもいる」とか「アンドロイドもいる」といった別の種類の大きなウソを加えていくのは客観的に見てナシだろう。やはり悪魔と対決するのは、「悪魔がいる」という大きなウソから派生した「悪魔と合体した悪魔人間(デビルマン)」でなければならないし、そもそもそれくらいの縛りがなければおもしろい漫画というものは生まれまい。
ところがいま、上記のルールをくつがえし、ひとつの作品の中に大きなウソを3つも織り交ぜながら、世界観を破綻させるどころか多くの人々の心をつかんで大ヒットしている痛快な漫画がある。遠藤達哉の『SPY×FAMILY』だ。そう、この漫画のおもしろさは、本来は共存することのない(してはいけない)3つの大きなウソが、バランスよくひとつの作品世界に溶け込んでいることにある(だからある意味では、本作には通常の漫画の3倍のおもしろさがあるといってもいい)。
今さら説明不要かもしれないが、『SPY×FAMILY』は、血のつながらない3人――スパイの父と、殺し屋の母、そして超能力を持った娘がそれぞれの正体を隠しながら疑似家族を形成していくコメディ漫画だ。つまり、この漫画における3つの大きなウソとは、「スパイがいる」、「殺し屋がいる」、「超能力者がいる」ということであり、本来は別々の物語として語られるべき複数の非現実的な要素が、本作ではひとつの世界で文字通り「同居」しているということになる。この手の設定は、思いつくのは簡単かもしれないが、実際に違和感のない形でまとめあげるのはかなり難易度が高いものと思われる(たとえば、本作にインスピレーションを与えたと思われる映画『Mr.&Mrs.スミス』で描かれる大きなウソは、「殺し屋がいる」という1点のみだ)。
ちなみに遠藤達哉が、こうした大きなウソについての漫画作りのルールを知らないわけではないというのは、2巻の27ページの2コマ目を見ればわかる(主人公が娘たちとスパイごっこをしていた際、突然「魔女」役が出てきたのを見て「世界観がわからん!!」とぼやいている。つまり、ひとつの物語の中で「スパイ」と「魔女」という大きなウソが並立することはないということを遠藤は理解している)。だから遠藤は何もかもわかったうえで、あえて3つの大きなウソを本作に放り込んだということになり、その挑戦は『SPY×FAMILY』においては見事に成功しているといえよう。