『ブギウギ』が踏襲していない、朝ドラのフォーマット “異形”の構成が物語る人生のリアル

『ブギウギ』異形の構成が物語る人生のリアル

「六郎、香川のことはお母ちゃんとお父ちゃんには内緒や。今、そう決めた」

 香川で自らの出生の秘密を知り、大阪に帰ってきた鈴子(趣里)。家の敷居をまたぐ直前に六郎(黒崎煌代)に告げた決意が苦しい。「体がバラバラになってまいそう」な思いで抱きついた六郎越しに、母・ツヤ(水川あさみ)の匂いを感じたかったスズ子。子どものようにしゃくり上げながら「お母ちゃーん!」と叫んだスズ子。それらを全て飲み込んで、六郎の前で自分に誓いを立てる姿が、切ない。

『ブギウギ』第22話花田六郎(黒崎煌代)、福来スズ子(趣里)。 ツヤの実家・表にて。スズ子を心配する六郎。

 NHK連続テレビ小説『ブギウギ』がスタートして1カ月。10月31日放送の第5週「ほんまの家族や」第22話をもって、前週から続いていた「香川編」が終わった。同時にスズ子の「無邪気な娘時代」に一区切りがついたとも言える。もちろん一区切りとは言っても、「『スズ子の出生の秘密問題』がすっきり解決」とは至っていない。このあたりが足立紳脚本の持ち味なのだろう。

 『ブギウギ』は、いわゆる朝ドラの“フォーマット”と言える「1週1エピソード」の形を踏襲していない。普通は、月曜日にテーマの提起、火・水曜日にそれを承けて話が広がり、木曜日で大きく展開する(『あさイチ』(NHK総合)の“朝ドラ受け”で博多華丸が「ムービング・サースデイ」と名付けたことでもおなじみ)。そして金曜日に回収・帰着という、おおよその“型”がある。これが視聴者にとってはいちばん観やすい、定石と言える。しかし本作はあえてそこから外している感がある。これまでのところ、いわゆる「定石」の流れを汲んでいたのは「少女時代編」の第1〜2週だけだった。

 第3週「桃色争議や!」では、「才能とは何か」というテーマと「梅丸少女歌劇団(USK)に新風が吹き込み、“才能のない側”のスズ子や和希(片山友希)の気持ちが揺れ動く」というエピソードが月曜日に提示され、火曜日に掘り下げられ、水曜日の「涙の団訓合唱」で一区切りを打った。しかし水曜日のラストシーンで、不景気の煽りを受けた梅丸が「賃金削減・人員削減」の決定を下したことが明かされ、木・金曜日で週タイトルにも冠された「桃色争議」へと流れる。複数のエピソードが進行し、そのうちひとつは週を跨ぐというスタイルだ。

 続く第4週「ワテ、香川に行くで」も同様に、前週金曜日のラストシーンからつながる「山籠りストライキ」とその顛末が月〜水曜日で描かれ、木曜日に「スズ子と六郎、実の姉弟じゃない疑惑」が提示され、金曜日にスズ子と六郎が香川へと赴く「香川編」が始まる。そして週を跨ぎ、第5週「ほんまの家族や」へとつながる。今のところ『ブギウギ』の週半ばは、それまでの流れを承けて転がる「ムービング」ではなく、新たなエピソードが始まる「チェンジング」と言えそうだ。

 この“異形”とも思える構成が、『ブギウギ』の作品性を物語っていると言える。人生は「勧善懲悪のオチがつく紙芝居」じゃない。予定調和は存在しないし、何事も「一件落着」などということあり得ない。問題は解決しないまま、“澱”を抱えたまま、次の出来事が起こり、それでも生きていかなければならない。人生は続いていく。こうした真実を、この朝ドラはリアルに描こうとしているのではないか。 

 また、人間の矛盾や不完全さも、できる限りあるがまま描こうとしている。スズ子の祖母・トシ(三林京子)が、事実を知って打ちひしがれるスズ子にかけた言葉が印象的だ。

「ツヤはな、スズ子が大切で大切で、もう、おかしなるぐらい大切で、スズ子の心も体もみんな自分のもんにしたなったんや。どこへも渡したなくなったんや」
「おばあちゃんもなあ、スズ子も六郎も大好きで、大切や。でもほんまのこというたら、ツヤやタカのほうが大切や。自分の子やけん、当たり前や」

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