『おかえりモネ』の世界は私たちの日常に降り注ぐ 心の痛みに向き合った唯一無二の作品に

心の痛みに誠実に向き合った『おかえりモネ』

 NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』(NHK総合)が最終回を迎えた。人の心の痛みに対して、これほど誠実であろうとしたテレビドラマはそうないだろう。

 第79回で菅波(坂口健太郎)が「身体の痛みも心の痛みも、本人でなければ絶対にわからない」と言っていたように、どんなにわかりたいと思っていたとしても、その人の「痛み」を想像することは容易いことではない。本作は、その困難さと、それでも寄り添おう、触れようとする人々の心を描いた作品だった。

 「お前になにがわかる、そう思ってきたよ、ずっと。俺以外の全員に」と亮(永瀬廉)は第110回で言った。東日本大震災で過酷な体験をしたり、大切な人を失ったりした人の多くがそう感じていることだろう。「震災」を描くということ、「大きな喪失を体験した人々を描く」ということは、簡単に「物語」にされてたまるかと感じている人々の思いを感じながら、それでも「物語」を作ることだ。それは、並々ならぬ覚悟がいるものである。脚本・安達奈緒子をはじめ作り手は、その覚悟を、全ての「痛み」と向き合うこと、想像することを通して示した。

 本作では様々な、人と人とを隔ててしまいかねないものが描かれた。それは大きく言えば、震災における「当事者と非当事者」という括りに分けられるのであるが、厳密にはもっと複雑だ。震災に対して、それぞれが抱く「痛み」の違いであるとも言える。印象的だったのは第78・79回だ。親世代の会話、亮を気遣う百音ら同級生たちの会話、さらには百音のことを気遣う、菅波や莉子(今田美桜)たち東京の人々の会話の場面が同時に描かれた。そこに阪神淡路大震災を経験した野坂(森田望智)が加わることで、より多層的になった。

 東日本大震災という大きな出来事に対して、登場人物たちだけでなく、視聴者の誰もがそれぞれの思いを抱えている。「あの時、どこにいたか、何をしていたか」を3月11日が来るたびに毎年思う私たちは、程度の差はあれ、それぞれに「痛み」を抱え続けている。でも「相手の方が辛いんじゃないかと思う」から、人々は口を閉ざし、その苦しみを自分の身体の内側に押し込め続けてきた。本作が亮や未知、百音が抱える痛みのみならず、「ずっとハッピーに生きてきた」と思っている莉子が感じる心の痛みにまで言及していることで、彼らの物語は、全ての視聴者にとって、私たちの物語となった。「わかることができないからそのまま」では、それぞれがそれぞれの内に籠もったまま、分断が生じてしまう。だから「わかりたい」と心から思う。歩み寄る。それが、本作の登場人物たちがやってきたことだ。

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