『おかえりモネ』のタイトルに込められていた“相手を受け入れること” 「モネ」の由来も
ついに、最終回直前となった『おかえりモネ』(NHK総合)第119話。第118話の未知(蒔田彩珠)の告白に対し、その場で何も言ってあげられなかった百音(清原果耶)のもとに、サヤカ(夏木マリ)が訪れる。
久々に顔を合わせて話す2人の様子に、思わず第1章の登米編を振り返ってしまう。あの頃の百音は、まだたくさんの生傷が癒えないまま、幼なじみたちや未知とともにその場にいられなかった罪悪感を背負って生きていた。彼女の場合、島にいることが耐えられなくなって外に出たという違いこそはあれど、現在の未知がその頃の百音に重なる部分も多い。あの時の百音は、今のように学生時代に演奏していた音楽だって聞くこともできなかったし、同じ音楽の趣味を共有していた耕治(内野聖陽)に対しても「音楽は役に立たない」と言って、完全に距離を置いていた。その音楽、彼女の好きなこと、自由の象徴である音楽を選んだことで仲間のもとへ向かえなかった自分を罰するかのように。
そして、気象予報との出会いが訪れる。新しい世界、変化を前に、自分がそんな好きなように生きる資格があるのか迷うこともあった百音だが、サヤカは一貫して肯定的な態度で「いきなさい、自分の思う方へ」と彼女の背中を押した。サヤカの「いきなさい」には、行くことと生きることのダブルミーニングが含まれていたように思える。あの登米の山での時間があったから、私はこうして今の自分があると話す百音に、サヤカは「そう思ってくれたら嬉しいよ」と優しく笑った。
だからこそ、百音が自分にとってのサヤカのような、森林組合のような居場所、いつでも訪ねてきたら、「おかえり」と言ってもらえるような場所が未知になかったことに気づき、自分がその場所になりたいと考えるのは姉として自然だろう。
その夜、永浦家にやってきたサヤカは龍己(藤竜也)と談笑する。そこで明かされた、“モネ”の由来。「ももね、おねーちゃん」がくっついたことで生まれたそれは、妹の姉に対する大好きな気持ちの表れだったのだ
『おかえりモネ』。このタイトルについて考える。気仙沼編がはじまり、東京から彼女が地元に帰ってきた頃、亮に綺麗事ばかりだと受け入れられなかった様子があった。その時から、恐らく百音が最も歓迎されることに意味のある相手である彼から改めて「おかえり、百音」と言われることで、タイトル回収されるのかと思っていた。しかし、それ以前に百音が未知に「おかえり」を言う立場になるという展開が、改めて本シリーズがこの姉妹の隔たりと愛を大きなテーマにしてきたことを気づかせてくれる。
「おかえり」とは、相手を受け入れることだ。頭の中の記憶は消せない。自分を許すことは決して容易くない。それでも、百音は未知に「みーちゃんは悪くない」という“おかえり”を、これから何度も何度も伝えていくのだろう。ついに胸のうちを全てさらけ出したことで、ようやく子供の頃のように「おねえちゃん」と姉にしがみついて泣くことができた未知。
「これからも、私がここにいる。だから今度は、みーちゃんが好きなところに行きな? 帰ってきたくなったら、また帰ってくればいい」
2人の様子を天から見守っていた雅代(竹下景子)も、未知に優しく声をかける。