坂元裕二が『ファーストキス 1ST KISS』で純愛を描いた理由 ベテラン作家の未来への手紙

塚原あゆ子が監督を務め、坂元裕二が脚本を手掛けた映画『ファーストキス 1ST KISS』(以下、『ファーストキス』)が劇場公開された。

本作は、2024年7月10日に、赤ん坊を救おうとして駅のホームで事故死した44歳の夫・硯駈(松村北斗)の運命を変えるために、2009年8月1日にタイムトラベルした45歳の妻・カンナ(松たか子)が29歳の駈と出会い直す物語。
時間SFを題材にしたラブストーリーは、日本では若手俳優が出演する青春映画の人気ジャンルとして定着しているが、劇中で描かれるのが45歳の中年女性と29歳の青年の恋愛で、作品の根底にあるのが破綻した夫婦関係の再生というのが、坂元裕二ならではだと言える。

坂元裕二は1980年代後半から活躍するベテラン脚本家で、『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)や『カルテット』(TBS系)といったテレビドラマのヒット作を多数手掛けてきた。
近年は土井裕泰監督の『花束みたいな恋をした』、是枝裕和監督『怪物』といった映画の脚本で高い評価を獲得しており、今年は『ファーストキス』の他にも土井監督と再タッグを組んだ映画『片思い世界』の公開が4月4日に控えている。
今回の『ファーストキス』は、時間SFという設定こそ坂元にとっては新機軸だが、破綻寸前の恋人や夫婦の関係を通して男女の在り方を見つめるポップなラブストーリーは『最高の離婚』(フジテレビ系)を筆頭とする彼がもっとも得意としているジャンルである。
回想で描かれる次第に険悪になっていく夫婦関係の生々しさと、過去パートで描かれるカンナと駈の初々しいやりとりのコントラストが実に見事で、松たか子と松村北斗のキュンキュンするやりとりに引き込まれる。

一方、塚原あゆ子監督は、近年もっとも勢いのあるディレクターだ。昨年は大ヒットした映画『ラストマイル』を手掛け、現在は『ファーストキス』と共に映画『グランメゾン・パリ』が劇場公開されている。
『最愛』(TBS系)や『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)といったテレビドラマの話題作を多数手掛ける塚原は、スタイリッシュな映像とエモーショナルなヒューマンドラマに定評がある。今回、坂元裕二とは初めてのタッグだったが、二人の相性はとても良く、お互いの長所が活きていた。
まず映画が始まって感じるのが、説明を最小限に抑えた状態で次々とシーンが切り替わっていく映像のテンポ感の心地よさ。また、カンナが駈を助けるために過去で試す行動を付箋紙に書いて貼り付けた螺旋状のオブジェの見せ方も見事で、塚原が得意とする象徴的なガジェットで物語の全体像を可視化する手腕がより洗練されていると感じた。逆に後半は、坂元裕二が得意としている男と女がお互いの思っていることを吐露し合う対話劇が炸裂する。その意味で前半は塚原、後半は坂元の個性が色濃く出ている映画だと感じた。

『ファーストキス』は、坂元裕二作品の中ではハッピーエンドと言える綺麗な終わり方をする映画で、気持ち良く映画館を後にした。だが、映画に対する満足感とは別に「なぜ坂元裕二は今、こういう映画を作りたいと思ったのだろうか?」という疑問は残った。
2010年代の坂元裕二は、貧困、ブラック労働、女性差別といった社会問題を積極的に取り入れることで、新たな作風を切り開こうとした。
その極北と言えるのが、10年前の2015年に書かれたドラマ『問題のあるレストラン』(フジテレビ系)だ。本作は男社会の大企業で起きた女性社員に対するハラスメントを描いた先見的なフェミニズムドラマで、今観ても古びておらず、現在の私たちが直面している現実をいち早く描いた作品だったと言えるだろう。
対して、2020年代の坂元裕二は、連続ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)やNetflix映画『クレイジークルーズ』で、1980年代のトレンディドラマが描いていたようなキラキラとした世界を再構築しようとしている。