大林宣彦、岩井俊二、新海誠、『WAVES/ウェイブス』ーー“明るい画面”の映画史を辿る

“明るい画面”の映画史に向けて

「明るい画面」の参照元としての大林宣彦と70年代

 デジタル化=ポストメディア化によってもたらされた、インスタ的でアニメ的な新海誠や京都アニメーションの「明るい画面」の映画が、90年代の岩井俊二の映画をルーツに持つことが明らかになった。

 ただ、話はここで終わりではない。

 おそらくぼくたちは、日本映画においてこの「明るい画面」の映画史をもっと遡ってたどることができる。たとえば、そこで重要な意味を担うのが、ほかならぬ岩井とともにこの連載の第1回ですでに取り上げていた大林宣彦の存在である。以下の論述に関しては、すでに「「明るい画面」の映画史――『時をかける少女』からポスト日本映画へ」という大林論としてすでに発表している内容とも一部重複するが(『ユリイカ』2020年9月臨時増刊号所収)、この連載の議論の文脈とも絡めてあらためて問題を整理しておきたい。

 まず、ぼくに限らず、現代映画のアクチュアリティについて考える論者がすでに指摘していることだが(たとえば石岡良治など)、今日の重要な日本映画作品が総じて「大林的なもの」を含む1970年代のいわゆる「角川映画的」な想像力を参照枠にしているという問題がある。

 例を挙げると、石岡の示唆する通り、細田守の『時をかける少女』(2006年)にせよ新海の『君の名は。』にせよ、角川映画時代の大林映画を参照しているし(『君の名は。』の場合は、『転校生』+『時かけ』)、『シン・ゴジラ』(2016年)や「エヴァンゲリオン」シリーズ(1995年〜)の庵野秀明が『犬神家の一族』(1976年)に始まる「市川崑的なもの」に目配せを送っていることも知られている。

 そもそも角川映画自体が、近年の日本映画史研究やポピュラーカルチャー論で急速に再評価の機運が高まっている。それは、大林とも親交の深い評論家の中川右介がそのよくまとまった角川映画のノンフィクション(『角川映画1976-1986』)で整理するように、巷間よくいわれるメディアミックス戦略だけではなく、「製作委員会方式」、「テレビ局が出資する映画製作」、「アイドル映画」などなど、現在の日本映画界を規定する主要な産業システムやプロモーション戦略、ジャンルなどがほとんどすべて角川映画をルーツとしていることによっているだろう。ともあれ、そうしたなかで、庵野とともに市川崑も熱烈にリスペクトする岩井が、同時にこれも連載第1回でも触れたが、大林にも大きな影響を受けていることは注目すべきである(ちなみに、のちに『時かけ』をアニメ化する細田守も、大林唯一のアニメーション映画監督作『少年ケニヤ』[1984年]のスタッフ募集に応募している。そして、同作が興行的に大敗を喫したのが、宮崎の『風の谷のナウシカ』[1984年]でスタッフには庵野が参加していたのだった……)。

大林の「CM的」画面から辿る「明るい画面」の映画史

 しかし、ここまでの論述を踏まえれば、岩井が大林の創造的系譜に連なっているのは、きわめてわかりやすい。

 というのも、既出の拙論でもすでに論じたことだが、商業映画デビュー作『HOUSE ハウス』(1977年)以降の大林映画は、まさに同時代の日本映画のなかでも飛び抜けて「明るい画面」を備えていたからだ。たとえば、『HOUSE ハウス』は、作中のキャラクターのうしろを舞台の書き割りのように奥行きを欠き、目の覚めるほどの原色に彩られた背景が取り囲み、それが奇妙な平板さの印象を湛えている。そのフラットさの印象は、晩年のいわゆる「戦争3部作」(2012年〜2017年)や遺作の『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020年)まで一貫していた。こうした大林映画の「明るい画面」が、テレビアニメ『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』(2020年)の画面と似ていることは前回指摘した。(参照:『ヒプノシスマイク』の“明るい画面”はメランコリーを象徴? 現代アニメ文化における高さ=超越性の喪失

 ともあれ、ときに「カタログ的」だったりときに「オモチャ箱」だったりといった言葉で形容されてきた大林映画ののっぺりとした「明るい画面」はいったい何に基づいていたのか。

『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(c)2020「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」製作委員会/PSC

 知られるように、映画監督進出以前の大林は、学生時代は自主映画や実験映画の旗手、それからテレビCMディレクターの草分け的存在として活躍していた。つまり、大林的な「明るい画面」とは、いいかえれば80年代当時、数多くの映画批評家が大林について評したように、「映画」ではない、「テレビ的」な画面なのであり、「コマーシャル的」な画面なのである。たとえば、『時かけ』の公開当時、映画評論家の黒田邦雄は、やはりこの作品をコマーシャル・フィルムの表現になぞらえながら、「CFというのはメッセージを正確に伝えることがまず必要だから、決してあやふやなものがあってはならない。[…]角川映画はこれらの要点を実によく守っており、この「時をかける少女」も、まさにそうなのである」(「<モラルの映画>角川映画考」、『キネマ旬報』1983年7月下旬号、65頁)と記していた。テレビやCMの映像表現は、映画館のスクリーンと違って、明るい日常空間のなかで何かをしながら画面を観る視聴者のアテンションをできる限り集め、なおかつ情報を正確かつ端的に伝達しなければならない。そのために、その画面は明るく、またそこにこめられる情報は単一で簡潔なものに集約されることが求められる。大林的なフラットな「画面」とはまさにそういうものだった。

 そして、その「映画」の外部のジャンルやメディアの文脈を映画のうちにハイブリッドに持ってくる作家的スタンスは、いうまでもなく彼に影響を受けた後続世代の岩井や、さらにそのあとの新海や京アニの「明るい画面」にもはっきりと共通する要素なのである。なおかつ、ここには「映画とはアニメーションである」と喝破し、敬愛する手塚治虫の『ブラック・ジャック』(1973年〜1983年)を大胆に実写映画化(『瞳の中の訪問者』)し、『ねらわれた学園』(1981年)や『海辺の映画館』にも俳優として出演したことのある手塚の長男である映像作家の手塚眞にマンガのコマ割りに喩えられた大林の演出センスもまた、岩井や新海の登場をはるかに予告していたといえるのだ。

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