大林宣彦、岩井俊二、新海誠、『WAVES/ウェイブス』ーー“明るい画面”の映画史を辿る

大林宣彦、岩井俊二、新海誠、『WAVES/ウェイブス』ーー“明るい画面”の映画史を辿る

「明るい画面」のルーツとしての岩井俊二

 ところで、ぼくは、連載第2回で『本気のしるし 劇場版』(2020年)や『呪怨:呪いの家』(2020年)、あるいは『ヴィタリナ』(2019年)といったやはり国内外の注目作を例に、またA・N・ホワイトヘッドやグレアム・ハーマンの哲学を参照して、ポストコロナの2020年代の映画がいっせいに「暗い画面」を目指しているのではないかと論じた。

 おそらく、それはそれである面で正しい。しかし、そこでも述べたように、他方で21世紀以降の映画は、新海誠に代表される「明るい画面」も備えている。とすると、このふたつの異なる画面は、対立するところもあれば相補的なところもあり、双方が複雑に絡みあって、現代映画の新しい「画面」を構成しているのだ。では、ひとまずここでは日本映画史における「明るい画面」と「暗い画面」の系譜をおおまかに跡づける作業を試みてみるとしよう。

 その手掛かりとなるのも、やはり新海誠である。

 新海独特のフォトリアルなアニメの映像表現が、「岩井美学」とまで呼ばれた岩井俊二の映画から多大な影響を受けていることは、岩井の名前が「スペシャルサンクス」としてクレジットされた『君の名は。』以降、よく知られるところとなった。余談ながら、ぼくは『君の名は。』のマスコミ試写に行ったさい、観終わったあとにロビーに岩井がいたのを見かけた。『君の名は。』の初見の印象も、「岩井俊二が好きそうな作品だな」というものだった。

 新海は、岩井の手掛けたアニメーション映画『花とアリス殺人事件』(2015年)のソフトの特典映像のインタビューや、『君の名は。』公開時に行われた初の対談(『EYESCREEM増刊 新海誠、その作品と人。』所収)などで、自身の映像制作キャリアの初期から現在にいたるまで、岩井作品からさまざまな影響を受けてきたことを明かしている。もとより岩井といえば、先ほども触れたように、極端な自然光の逆光と浅いフォーカス、レンズフレア、ハンディカムによる即興的な長回し、独特のフラッシュカット、映像と音楽のアフェクティヴなコラボレーションといった、いわゆる岩井美学と呼ばれる繊細で情感溢れる幻想的な映像表現を、その初期から一貫して作り上げてきた。そして、こうした映像表現が、やはりレンズフレアのような光の表現とスモークを焚いたような淡く感傷的な背景を特徴とする『ほしのこえ』(2002年)以来の新海アニメの映像と驚くほど似通っていることは一目瞭然だろう。21世紀の新海や京アニの「明るい画面」はルーツは、まず1990年代に活動を開始した岩井の「明るい画面」にあったのだ。

 なおかつ、このふたりのあいだには、それに加えてもともと映画以外のメディアの出身という出自の共通性と、同時代のデジタル技術を率先して取り入れてきたという作家的スタンスの共通性が存在する。

 まず前者でいえば、知られるように、岩井はもともとはミュージック・ビデオのディレクターから映像業界に入ったという経歴を持ち(というより、日本でのMV界出身の映画監督の先駆け的存在)、かたや新海はパソコンゲームのオープニングムービー制作からクリエイターとしての活動を開始したという経緯がある。いずれも「映画」ならぬ「映像」や「動画」をルーツに持つ映画作家なのである。

 そして後者のことでいえば、新海の演出がデジタルコンポジットの導入に基づくものであることはすでに触れたし、また彼の出世作である『ほしのこえ』がPower Mac G4、Adobe Photoshop、Adobe After Effectsなどの市販のソフトウェアを用いながら、ほぼ一人で作り上げた本格的なデジタルアニメーションムービーとして業界に衝撃を与えたことも比較的よく知られているはずだ。他方の岩井の場合にせよ、拙著『イメージの進行形』(人文書院)や『1990年代論』(大澤聡編、河出書房新社)所収の論考などで、ぼく自身が何度か繰り返し紹介してきたように、デジタル編集ソフト「Avid」やデジタル音響システム、映画のデジタル撮影を推進したカメラ「HD24p」などのデジタルツールを1990年代から日本映画界で先駆的に活用してきた映画監督だったという側面がある。この連載第1回(参照:“画面の変化”から映画を論じる渡邉大輔の連載スタート 第1回はZoom映画と「切り返し」を考える)で論じた岩井の『8日で死んだ怪獣の12日の物語 -劇場版-』(2020年)も、Zoomを使って製作されていたことも思い出してほしい。そもそもデジカメによる手ブレ撮影やフラッシュカットといった岩井美学と呼ばれた映像表現は――新海アニメのデジタルコンポジットによる風景表現と同様に――撮影機材のデジタル化によって可能になったものだといえる。その意味で、岩井から新海にいたる現代の「明るい画面」の系譜は、映像のデジタル・イノベーションを前提としているのだ。

インスタ的画面とアニメ的画面の「明るさ」

 そして、しばしばデジタル環境は「ポストメディウム」や「ポストメディア」といいかえられるように、メディアがデジタルになるということは、アナログ時代にあったさまざまなメディアやジャンル間の垣根があいまいになり、ひとつのプラットフォームや表現に収斂していくということも意味するとよくいわれる。

 そうした事態は、繰り返すように、ミュージック・ビデオやテレビドラマ、そして一方でパソコンゲームという他ジャンルから映画に進出し、それらのジャンルの表現をハイブリッドに混ぜ込んでいる岩井や新海の経歴そのものに如実に反映されている。しかも、それだけではなく、アニメーションの背景に実写的リアリズムを高精細に取り入れた新海と対照的に、岩井のほうは、マンガやアニメの表現から多大な影響を受け、それを実写映画に取り入れてきたという事実もある。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(c)2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会

 もともと岩井は、スタジオジブリの高畑勲の遠縁にあたる関係であり、学生時代は漫画家を目指していた(岩井映画の少女マンガからの影響は、一目瞭然である)。あるいは、2020年にぼくとアニメ批評家の高瀬康司が行ったインタビューのなかでも、岩井は自身の出世作となり、2017年にはシャフトによって長編アニメ映画化もされたテレビドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(1993年)について、役者の演技を「アニメっぽく」演出したと語っている(『美術手帖』2020年2月号所収)。ここで注意したいのは、実写映画の場合、Instagramのようなデジタル映像の画面と並んで、まさにアニメの画面も、実写と比較するとはっきりと「明るい画面」だということだ(あの宮崎アニメがまさにそうである)。つまり、現代映画の「明るい画面」の台頭とは、「インスタ的画面」への変化であると同時に「アニメ的画面」への変化でもある。それは、言葉を替えれば、「デジタル的画面」であるとともに「ポストメディア的画面」でもあるのだ。

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