『べらぼう』は脚本家・森下佳子の集大成 『だから私は推しました』に重なる“推し”との関係

2025年の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、江戸のメディア王として、様々な書物や浮世絵を出版した蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)の物語だ。
舞台は町人文化が花開いた江戸時代中期。吉原で暮らす蔦重は、女郎たちのために吉原に客を呼びこむため、新しい吉原細見(吉原の案内書)を作ろうとする。

劇中には、幕府の財政改革をおこなう老中・田沼意次(渡辺謙)、江戸の発明王・平賀源内(安田顕)、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』(文藝春秋)の主人公として知られる長谷川平蔵(中村隼人)といった歴史上の人物が多数登場し、江戸の町人文化が華やかに描かれる。
同時に描かれるのが、吉原で働く女郎たちの過酷な労働環境。女郎たちを助けるために、吉原に客を呼び込む手段を考えて行動する蔦重だったが、その度に女郎屋の主人たちと激しく衝突する。
蔦重は女郎屋の親父たちには頭が上がらず、若者を搾取する狡猾な大人という理不尽な権力構造が容赦なく描かれる。だが、吉原で威張っている女郎屋の主人たちも江戸では差別されており、蔦重が江戸市中で本を売るために地元問屋に入ろうとしても、老舗の地本問屋からは難癖をつけられ仲間に入れてもらえない。そしてさらに上には田沼たち江戸幕府の存在があり、『べらぼう』で描かれる権力構造はとても重層的で入り組んでいる。
何より苦しいのが、蔦重が吉原に客を呼び寄せても、それが必ずしも女郎のためになるとは言えないことだ。
第8回では、蔦重が作った「新吉原細見」が売れたことで、吉原に客が押し増える。しかし、客が増えたことで女郎たちの仕事が増えて労働環境が悪化している。その様子を本作はしっかりと描いている。

『べらぼう』の第1回が放送された直後、本作は吉原という風俗街での営みを美化する内容で、NHKのプライムタイムで放送されている大河ドラマにふさわしくないという批判がSNSで巻き起こった。
この批判が的外れだったことは、今さら言うまでもないだろう。
おそらく、綾瀬はるかが演じる神様・九郎助稲荷によるポップなナレーションや、華やかな衣装が醸し出す明るいビジュアルの印象が強すぎて、背後で描かれている物語の暗さが目に入らない、あるいは暗い物語を明るく語ろうとする本作の作劇手法に悪趣味な印象を感じ取った人が少なくなかったからだろう。その気持ちはわからないでもない。

軽妙な語り口と暗い物語の落差こそが『べらぼう』の持つ複雑さだ。
痛快時代劇と遊郭残酷物語の両者の要素を保ったまま、本作は光と闇の狭間を歩もうとし、その結果、悪趣味で目をそむけたくなる暴力的な描写が節々に挟み込まれる。だが、このポップな悪趣味こそが江戸の大衆文化の本質で、そこから目をそらさなず描こうとする本作の姿勢に筆者は引き込まれる。このような複雑な時代劇は、NHKの大河ドラマでないと作れない。
脚本の森下佳子は、2017年の『おんな城主 直虎』に続き、二作目の大河ドラマ登板だ。江戸時代の吉原が舞台になるドラマというと、日曜劇場(TBS系日曜21時枠)で彼女が手掛けた、現代の脳外科医が幕末にタイムスリップする連続ドラマ『JIN-仁-』を真っ先に思い出す。また、2023年にNHKで放送された、伝染病によって男性の数が激減して女性の社会進出が大きく進んだ架空の江戸時代を舞台にした連続ドラマ『大奥』でも、田沼意次や平賀源内が登場する『べらぼう』と同じ時代を描いていていた。
その意味で江戸時代を舞台にした『べらぼう』の世界は、森下のもっとも得意とする世界だと言える。




















