アカデミー賞はいつから“国際化”したのか? 非英語作品の地位の変化を振り返る

アカデミー賞はいつから「国際化」したのか?

 毎年恒例の映画界のビッグイベント、第97回アカデミー賞の授賞式が現地時間3月2日(日本時間3月3日)に開催される。

 アカデミー賞はアメリカの映画賞だが、今年は非英語作品(スペイン語)の『エミリア・ペレス』(2024年)が作品賞を含む12部門、13ノミネートで、第97回アカデミー賞の最多ノミネーション作品になった。13ノミネートは非英語作品の最多記録である。ブラジル映画(ポルトガル語)の『アイム・スティル・ヒア』(2024年)も作品賞候補入りし、近年のアカデミー賞の国際化を象徴するような結果になった。

『アイム・スティル・ヒア』©2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiração/MACT Productions/ARTE France Cinéma

 人種差別発言が問題視され、カーラ・ソフィア・ガスコン(『エミリア・ペレス』)の主演女優賞の可能性は恐らく消滅したが、前哨戦の結果から、ゾーイ・サルダナ(『エミリア・ペレス』)の助演女優賞はかなり有力だ。主演女優賞候補のフェルナンダ・トーレス(『アイム・スティル・ヒア』)は最有力候補とまでは言えないが、ゴールデングローブ賞という重要な賞を受賞しており、可能性は十分にある。彼女の実母、フェルナンダ・モンテネグロも非英語(ポルトガル語)作品の『セントラル・ステーション』(1998年)でアカデミー賞主演女優賞候補になっており、2人のフェルナンダは「母娘2代」で「非英語作品」で「同じ監督の映画」で「主演女優賞候補」になったことになる。調べた限りではアカデミー賞史上初の出来事である。

 近年は非英語作品がアカデミー賞の作品賞(※非英語作品が対象になる国際長編部門ではなく、すべての作品が対象になる作品賞)を争うことが珍しくなくなった。筆者の調査では非英語作品の作品賞候補入りはこれで7年連続である。

 古くも非英語作品が候補入りして主要部門を争うことはあったが稀な例で、世界的な巨匠として知られた黒澤明(日本)もフェデリコ・フェリーニ(イタリア)もフランソワ・トリュフォー(フランス)も、イングマール・ベルイマン(スウェーデン)も外国語映画賞(現・国際長編映画賞)は受賞しても、作品賞、監督賞の受賞は0回である。ロマン・ポランスキー(ポーランド)、ミロシュ・フォアマン(チェコ)、アン・リー(台湾)は監督賞受賞者だが、彼らは英語作品で受賞しており、自国語作品での受賞ではない。非英語作品での演技部門受賞者は、ソフィア・ローレン(『ふたりの女』)、ロベルト・ベニーニ(『ライフ・イズ・ビューティフル』)、マリオン・コティヤール(『エディット・ピアフ 愛の讃歌』)、ユン・ヨジョン(『ミナリ』)のわずか4人に留まる。英語メインの作品だが、当人の出演パートが英語ではなかったロバート・デ・ニーロ(『ゴッドファーザーPART II』)とベニチオ・デル・トロ(『トラフィック』)を計算に入れても6人に過ぎない。

 それが近年(具体的には2010年代の後半ごろから)は明らかに傾向が変わっている。今回は作品賞候補作の変遷をたどり、アカデミー賞における非英語作品の地位がどう変わったのかを振り返る。

賞の創設から2010年代の改革までの傾向

 まず最初に注釈しておくべきなのだが、アカデミー賞はあくまでもアメリカのローカル映画賞として出発した賞である。主催の映画芸術科学アカデミーはロサンゼルスとビバリーヒルズに本拠を置く団体であり、アメリカ映画の発展を目標に1929年に創設されている。

 だが、初期段階から外国語(非英語)作品に全く目を向けていなかったわけではない。非英語作品の作品賞候補入り第1号の登場は意外に早く、第11回アカデミー賞でジャン・ルノワール監督のフランス映画『大いなる幻影』(1937年)が作品賞候補入りしている。

 ただし、そこから次の非英語作品の作品賞候補入りまで30年以上の時間を要することになる。続いてフランス映画の『Z』(1969年)が第42回アカデミー賞で作品賞候補入りする。結局主要部門の受賞には至らなかったが、『Z』は監督賞、主演女優賞、脚色賞でも候補入りし、主要4部門を争った。最終的に編集賞と外国語映画賞を受賞している。

 1970年代はスウェーデン映画の『移民者たち』(1971年)と『叫びとささやき』(1973年)が作品賞候補入りしたが、1980年代はゼロ。1990年代はイタリア映画の『イル・ポスティーノ』(1995年)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998年)と中国語作品の『グリーン・デスティニー』(1999年)が作品賞候補入りした。それまでの作品賞候補入りした非英語作品がすべてヨーロッパ映画だったのに対し、『グリーン・デスティニー』はアジアの映画である。アジア映画(アメリカ資本も入っているが)の作品賞候補入りはアカデミー賞史上初の快挙だった。その後、『グリーン・デスティニー』のアン・リー監督は英語作品での受賞ではあるが、アカデミー賞の監督賞を2度受賞している。

 2000年代以降も、アカデミー賞で非英語作品が作品賞を争う例は散見される。『硫黄島からの手紙』(2006年)はアメリカ資本でアメリカ人の主要スタッフによるアメリカ映画だが、ほぼ全編日本語で、アカデミー賞の作品賞候補になった初の日本語作品となった。オーストリア、ドイツ、フランス合作(言語は主にフランス語)の『愛、アムール』(2012年)も作品賞候補入りしている。

 だが、こうして見るとやはり非英語作品の作品賞候補入りは稀な例であることがわかる。1940年代~1950年代、1980年代はゼロで、非英語作品が作品賞候補入りするのは10年単位で見ても多くて2、3本程度である。やはりアカデミー賞は「アメリカの映画賞である」という意識がアカデミー会員の間でも強かったのだろう。外国語映画賞があるのだから、作品賞の候補に非英語作品はふさわしくないという考えもあったのかもしれない。

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