「新しい日常、新しい画面」第1回
“画面の変化”から映画を論じる渡邉大輔の連載スタート 第1回はZoom映画と「切り返し」を考える
コロナで変わってしまった世界
2020年代のはじまりの年、世界は一変してしまった。
いうまでもなく、2019年の大晦日に発見された新型コロナウイルス(Covid-19)による感染症の拡大(パンデミック)のことである。それは瞬く間に世界中を覆い尽くし、ぼくたち人類はいま、何百年に一度というスケールの人類史的なカタストロフの渦中にいきなり放りこまれてしまった。日本でも4月初旬に政府から発出された緊急事態宣言を端緒として、いわゆる「新しい日常」(New Normal)の定着が不可避的に進行している。このコロナ危機が2020年代中に完全に終息する保証はまったくない。その意味では、もう2020年以前の世界に戻ることはほぼ不可能になったといってもよいだろう。
そして、それはカルチャーの領域でも変わらない。大規模ロックフェスからアイドル文化、2.5次元ミュージカル、そしてシネコンの応援上映まで、ダウンロードやストリーミングの普及に伴うコンテンツのフリー化により、1回限りの「経験価値」を効率的に市場化する「ライブエンターテインメント」が21世紀文化の新たなスタンダードになるだろう――と、2000年代後半以降の(ぼくも含めて)多くの文化批評が声高に主張してきたのもほんのつかの間、「3密」や「クラスタ」の回避のため、その種のコンテンツやイベントは、今後しばらくは、大きな対策変更を余儀なくされざるをえないはずだ。
「withコロナ」時代の映画とは
そして、それは国内外の映画を観る環境においても変わらない。
たとえば、シネコンからミニシアターまでの映画館は、4月の緊急事態宣言下では先行きの見えない臨時休業を余儀なくされた。宣言解除後の現在も少なからぬ数の新作の公開が延期され、また当然ながら観客数も落ち込んでおり、業界全体が依然厳しい状況に立たされている。とはいえその一方で、そうした新作の一部が劇場公開と並行してNetflixなどのオンラインストリーミングサービスでも配信され、また、この間に一挙に社会に広まった「Zoom」などのウェブ会議アプリを用いた実験的な作品が作られるなど、「withコロナ」にふさわしい、これまでには見られなかった新しい試みもはじまっている。
この2020年代の「新しい日常」において、映画を取り巻く状況は、そしてぼくたちが映画を見るまなざしはどう変わるのか? 大きくいって、この連載でぼくが考えたいのは、そのことだ。
「Zoom映画」の画面は新しい?
ただ、ここでひとつつけ加えたいのは、このアフターコロナの「新しい日常」は、それ以前に現れはじめていた状況と切り離された、まったく新しいものばかりではないということだ。ぼくの見立てでは、それは2010年代(もちろん、あとで詳しくたどるように、この年代は切り口によって、2000年代後半や1990年代、あるいはそれ以前へと、もっと遡行できる)には、すでに現れていた。つまり、いまぼくたちの目の前に起こっている映画や映像――ひいてはカルチャーをめぐる新しい状況とは、10年代までに少しずつ、だが確実に姿を見せてきた21世紀的な想像力やシステムが、いっそうラディカルな形を伴って一気に全面化してきた状態だと理解したほうがいい。
映画の分野でさっそく一例を示そう。7月31日、ふたりの世代の隔たった映画監督がコロナ禍に揺れる映画界でそれぞれ新作を発表した。ひとりは、『8日で死んだ怪獣の12日の物語―劇場版―』をミニシアターとVimeoによるオンライン上映の両方で公開した岩井俊二。そしてもうひとりは、本来の公開日だった4月10日に亡くなり、結果的に遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の大林宣彦である。
このうち、岩井の『8日で死んだ怪獣の12日の物語』は、5月に立ち上がった「カプセル怪獣計画」というプロジェクトの番外編として作られた作品である。これは、「怪獣の人形に仮託してコロナウイルスを倒そう」という趣旨のもとに、リモートで制作した動画をリレー形式でつなげていくという企画で、作中にも役者のひとりとして登場する樋口真嗣ら5人の映画監督が発起人となってはじまった。もともとは5月20日からYouTubeで、12日間連続で配信されたショート動画を劇場用に再編集したのが、この「劇場版」である。
新型コロナウイルスのパンデミックで外出自粛が続く日々のなか、主人公の俳優サトウタクミ(斎藤工)は、通販サイトで「カプセル怪獣」を買う。最初は植物の小さな種のような塊、そこから紙粘土のような固形物へとしだいに形を変えて成長していく怪獣の様子を、同じく怪獣を育てるYouTuber「もえかす」(穂志もえか)の配信動画などを眺めながら、彼はウェブで毎日配信していく。コロナ禍が原因で撮影も止まりひたすら自宅にいるタクミのもとにはコロナ禍で無職になったという先輩のオカモトソウ(武井壮)や通販で宇宙人を買ったという丸戸のん(のん)など、さまざまな友人たちから連絡が来て会議ソフトを通じて雑談を交わす。そのなかで、怪獣に詳しい知り合いの樋口監督(樋口真嗣)によれば、このカプセル怪獣はコロナウイルスと戦ってくれるらしい。タクミは果たして、うまくカプセル怪獣を育てられるのか。そして、カプセル怪獣は本当にコロナウイルスと戦ってくれるのか――。
本作のほかにも、行定勲の『A day in the home Series』(2020年)をはじめ、自粛期間中は国内外で似たような会議ソフトを使ったリモート制作の映画や演劇が多数作られたことはまだ記憶に新しいだろう。それらと同様、岩井の『8日で死んだ怪獣の12日の物語』もまた、時折挿入される人気の途絶えた緊急事態宣言下の都内の風景ショットを例外とすれば、映画の全編が、主人公が登場人物たちとウェブ会議サービス「Zoom」を使って会話するパソコンのディスプレイ画面で占められている。
こうした最近の「リモート映画」や「Zoom映画」と呼ばれるような作品は、当然ながらこれまでの映画の画面にはない特異さを備えている。とはいえ、このあとに本格的に分析していくが、こうした物語の(ほぼ)全編がパソコンのデスクトップ上で展開されるという趣向の作品は、すでに2010年代から国内外で作られてきていた。たとえば、ぼくもこのリアルサウンド映画部の過去のコラムで、グスタフ・モーラー監督『THE GUILTY/ギルティ』(2018年)を題材に、その種の映画を考察している(参照:『THE GUILTY/ギルティ』から考える「デスクトップ・ノワール」 変容する視覚と聴覚の関係とは)。その意味で、Zoom映画の画面はまったく新しいイメージというわけではない。