追悼ショーン・コネリー “初代ジェームズ・ボンド”を演じた名優の業績と人気の理由を振り返る

追悼ショーン・コネリー

 ショーン・コネリー氏が90年にわたる生涯を終えた。その長い歳月のなかで、彼の俳優だった時期は優に半世紀以上にも及ぶ。このように活躍した期間の長さは、死去の報が駆け巡ってから、彼に魅了された幅広い年代のファンがそれぞれに出演作の思い出を語り出すという状況を生み出すことになった。われわれには、各々の心に“ショーン・コネリー像”を宿しているのである。

 しかしコネリー氏は、なぜそんなにも長く、時代時代で人の心に残る俳優でいることができたのだろうか。ここでは、そんな彼の業績と人気の理由を、あらためて振り返っていきたい。

 若い頃から、たくましくがっしりした体躯を持ったコネリー氏は、イギリス海軍に入隊し、除隊後はその体を活かして様々な労働に励んだ。さらにボディビル大会にも出場したことが、俳優の道をひらくきっかけとなる。これは、後にやはりボディビル大会から映画界に進出したアーノルド・シュワルツェネッガーが飛躍した流れにも近い。

 その後、舞台やTV作品に出演し、国際的な戦争映画の大作『史上最大の作戦』(1962年)でイギリス軍兵士を演じた同年に、コネリー氏は早くも映画界の伝説となる役柄をつかむことになる。英国スパイ“007”こと、ジェームズ・ボンドである。

 まさかシリーズが、いま現在も継続する長寿作品になるとは、コネリー氏が初代ボンド役を演じた、第1作『007 ドクター・ノオ』の時点では誰も予想できなかったはずだ。イギリス本国での人気はもちろん、アメリカの映画館ではこぼれたポップコーンで場内の床が埋め尽くされるなど、『007』シリーズは世界的な大ヒットを記録していった。

 最初のボンド役の候補は、ケーリー・グラントやデヴィッド・ニーヴンなど、多くの顔ぶれが検討されたが、プロデューサーが彼を選択する決め手となったのは、コネリー氏が大きな身体ながら、しなやかで機敏な動きができたためだったという。原作小説を書いたイアン・フレミングは当初、配役に難色を示したとされるが、後にその考えを修正することになった。

『007 ロシアより愛をこめて』(c)1963 Danjaq, LLC and Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved

 持ち前の野性味と洗練されたスーツの組み合わせによって、初代ボンドは誰もが認めざるを得ないほどの超絶なセクシーさを発揮するに至った。ピープル誌は1999年に、コネリー氏を「20世紀最もセクシーな俳優」に選出している。30、40代頃の彼を見ると、まさに概念としての“セクシー”が具現化されたような、凄まじいほどの魅力を放っている。コネリー氏はボンド役を、映画のなかで計7回務め、そこには復帰作やワーナー版も含まれている。“初代ボンド”という銘があるとはいえ、ここまで観客に望まれ、二度もボンド役に復帰したボンド俳優は、もちろん彼だけだ。

 その絶大な人気によって、現役ボンド時代から、アルフレッド・ヒッチコック監督の『マーニー』(1964年)や、シドニー・ルメット監督の『丘』(1965年)など幅広い作品に出演し、その後も『風とライオン』(1975年)、『王になろうとした男』(1975年)など、全体的には、より威厳ある重厚な役柄へとシフトしていく。

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