“映画”から“一つの事態”へ 寄せられた論点と作品の先進性から、実写版『ムーラン』の価値を探る
『美女と野獣』(2017年)や『ライオン・キング』(2019年)、『アラジン』(2019年)など、ディズニーのアニメーション映画を実写化するシリーズが、近年好評を得ている。そのなかで、最近最も物議を醸した作品といえば、『ムーラン』だろう。
本作を観ることができるのは、現状では一部地域を除き、ディズニー動画配信サービス「Disney+(ディズニープラス)」などで追加料金を払うサービスのみ。コロナ禍の影響から、ディズニーは社として映画館で公開するよりも配信で公開することでのメリットが大きいと判断したのだろう。この選択については様々な反応があったが、とくに『ムーラン』を公開するために宣伝に協力していた世界の映画館が、コロナ禍のなかでなんとか活路を見出そうとしていた矢先に、この大作がスルーされたダメージには切実なものがあった。
それだけでなく、本作は様々な理由で批判を浴びた経緯があり、われわれはそれらの問題を耳にすることで、素直に作品を鑑賞することが難しくなっているのも確かだ。ここでは、そんな『ムーラン』に寄せられた論点をすくい取り整理しつつ、内容についての価値を同時に語っていきたい。
本作の基となっているアニメ版『ムーラン』(1998年)は、中国を舞台にしたこと、伝承を下敷きに、男性だと偽り戦へと赴く女性が主人公であること、ジェンダーについての問題が中心に描かれるなど、ディズニー作品のなかでも飛び抜けて先進的な題材や要素を扱っていた作品だった。だから公開当時よりも、このようなジェンダー問題を扱った作品が増えてきた現在の方が、内容が広く理解されやすいのではないだろうか。それだけに、いまふたたび『ムーラン』が実写版として公開されることは、時流に乗っているといえよう。
そして実写版『ムーラン』は、アニメ版とは異なる特徴を持った作品だ。なかでもインパクトがあるのは、ミュージカルの要素をカットしたり、エディー・マーフィーが声優を務めた陽気なドラゴンのキャラクター“ムーシュー”の存在を消し去るなど、アニメーションならではのポップな要素を排除してリアリティを高めた点にあるだろう。これは、アニメ版の名シーンの“再現”を目指した『アラジン』などのアプローチとは明らかに異なる。
その意味で、アニメ版のファンから一部不満が出たことは確かだが、ムーランを演じた主演俳優リウ・イーフェイはじめ、コン・リー、ドニー・イェン、ジェット・リーなど、中国、香港のスター俳優が集結し、それぞれにアクションを披露したり、実際に平原を騎馬隊が走るシーンが見られたりなど、本作の戦闘シーンやスペクタルシーンの説得力ある映像を観ると、あくまで実写映画として独立した魅力を持つことが一貫したコンセプトなのだということが伝わってくる。その意味で本作は、新しい表現に挑戦した意欲作なのだ。残念なのは、これらの迫力ある場面を映画館の設備で体感できないという点である。
また、実写版『アラジン』で、王女ジャスミンの役割が大きなものになっていたように、本作でも設定に現代的な改変が加えられた部分がある。代表的なところでは、ムーランに恋愛感情を持つキャラクターが、軍の上官から同僚に変更されていることが挙げられる。これは、同じ組織の中で上下の立場にある者同士が恋愛するという状況に、アンフェアな印象が与えられる場合があるからだろう。もちろん、そのような恋愛が間違ったものだという意図はないだろうが、女性の自立を表現する作品には相応しくないという判断は理解できる。
そしてもう一つの大きな改変は、コン・リー演じる魔女シェンニャンの登場である。彼女は敵でありながら、女性への偏見に苦しむという意味においてムーランの先輩のような存在でもある。ムーランは野を駆け回る活発な女性だが、封建的な社会のなかでは、その個性は欠点だとみなされ、力を発揮すればするほど、そして“ありのまま”の自分でいようとするほど迫害を受ける姿が映し出される。これは、日本を含め現代の様々な社会にも共通するところがある構図だ。女性が強い個性を持ち自己主張をすると、「生意気だ」とバッシングを受けるケースは少なくない。本作はこのような描写を強調することで、ジェンダー問題をより前へと進めているといえよう。
さらに、結末も大きく変化した。本作のムーランは、女性として戦士であることが本来の自分の姿だったということを発見する。アニメ版ではムーランの結婚を予感させ、ディズニーのプリンセス・ストーリーの系譜に連なる“Ever After.(そして幸せに……)”という締めくくりが似合うものになっていたのに対し、本作ではさらなるムーランの活躍を示唆することで、女性の価値観や幸せのかたちに広がりを持たせている。性別にとらわれずに自分の可能性を追求する素晴らしさを、本作を観る子どもたちに教えることができたという点については、アニメ版よりも優れているといえよう。その意味で本作は、新しく実写版を撮る意義が、これまでの実写化企画のなかでも、とくに大きかったといえるのではないだろうか。