『Flow』がアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した意味 ゲームの魅力を映画で巧妙に再現

第87回ゴールデングローブ賞長編アニメーション映画賞、そして第97回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞したのは、記録的な興行成績を達成したピクサー作品『インサイド・ヘッド2』(2024年)でも、ドリームワークス・アニメーションの感動作『野生の島のロズ』(2024年)でもなく、比較的小規模で製作された、ラトビアの若手アニメ監督ギンツ・ジルバロディスの『Flow』(2024年)だった。無料で利用できる3DCGアニメーションのソフトウェア「Blender」を用い、常に作業しているスタッフは数人のみだったという。
この快挙には、果たしてどんな意味があったのか。謎めいた本作『Flow』の演出やつくりを分析しつつ、そこで何が描かれたのか、そして本作の成功が何を生み出すことになるのかを考察していきたい。
主人公は、1匹のダークグレーの猫だ。本作の物語は、この猫や、猫の見る世界を映し出しながら、観客に波瀾万丈の冒険を猫視点で体験させるといった趣向で進行していく。驚かされるのは、その壮大な世界観。大きな津波が陸地を飲み込み、多くの大地が沈み続けるなかで、大海原や荒廃した先史的な文明、そして超常的な現象が起こる場所などを、他の動物たちとともに生き延びながら巡っていくのである。
さらに特徴的な点がいくつかある。猫をはじめ登場する動物キャラクターたちの擬人化やディフォルメは最小限のものになっていて、動物らしい姿や方法で交流するのである。もちろん言葉でなく、ボディランゲージや鳴き声などによって意志を伝達する。セリフを排することによって複雑な情報を提示することができないという制約がありながら、細かな動きによって、それぞれのさまざまな局面での感情が伝わってくる。
監督によれば、宮﨑駿監督のTVアニメーション作品『未来少年コナン』にインスピレーションを与えられた部分があるのだという。その『未来少年コナン』の着想となったのが、アレグザンダー・ケイのSF小説『残された人々』だった。人類が戦争で使用した「終末兵器」が地球に大きなダメージを与え、地軸が捻じ曲がり、大きな地震と津波が発生し、人類の多くを死に至らしめる。そして、残されたわずかな人々のドラマが展開していくのだ。
『未来少年コナン』のなかでは、度々起こる災害が人類全ての脅威となる状況で、主人公が自分を敵視する者をも助けて生き延びようとする描写がある。本作『Flow』の展開にも、その構図がかなりの部分で反映していると思われる。設定をあえてミステリアスなものにして、全貌を明かさない本作だが、このような作品が参考になっていると思えば、かなりの部分で納得できるのではないか。
過去の遺物や超常的な出来事など、想像するしかないところも多いが、監督はそういった作品世界の設定の全貌を解き明かすことを観客に望んでいるわけではなく、猫や動物たちとともに不確かな状況、事態をマクロ的に見られないなかでサバイブすることを、同じように体験してもらうために情報を与えていないのだと考えられる。
ただ、主人公の猫を助けてくれたヘビクイワシが、不思議なポータルからどこかへと吸い込まれていく描写については、誰もが気になるところだろう。猫とヘビクイワシの運命がそこで分かれてしまうという展開と、終盤で陸地に打ち上げられたクジラの苦しそうな姿から、あのポータルを猫が連想しているところから、おそらくそれは“生と死”に関係したものだということが、観客にも類推できるはずである。
ヘビクイワシが不思議な力によって、どこかへ消えていく描写が、“死”を表しているのだとすれば、それは必ずしもネガティブなものではないのかもしれない。自力で飛べなくなったヘビクイワシが浮き上がる描写は、寂しさを残しながらも、何か一種の救済であるかのように表現されているのだ。そして生や死というとものが、良し悪し、幸福と不幸などの二元論的な概念を超えたものであると言っているように思えるのである。死に頻するクジラの姿もまた、ただ悲しいものでしかないと考えるのでなく、その先に一種の救いが用意されていることをも見出すところに、猫の成長があったというところなのだろう。
そして、冒頭で猫の姿が水面に1匹だけ映っていたシーンと呼応するように、ラストでは仲間たちが猫と一緒に、その像を結ぶのである。この場面からは、やはり『未来少年コナン』におけるハイハーバーの住民たちの姿や、ラストに至る展開が思い浮かぶ。この世界に人間たちが生き残っているのかは分からないが、動物たちが協力しながら生き延びたことを示す象徴的な構図は、環境破壊や戦争などで自分たち自身の生存を脅かす、現実の人類もまた、これからの危機を乗り越えていくためには、互いに手をとって連帯しなければならないことを暗示しているといえるだろう。