大河ドラマはかつて若手俳優の登竜門だった 唐沢寿明×松嶋菜々子『利家とまつ』から流れが変化?
大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK総合)の放送休止に伴って、毎週放送されている『「麒麟がくる」までお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル』だが、過去の大河ドラマを観ていると色々な発見がある。中でも新鮮だったのが、今では大御所となった俳優の若手時代。『独眼竜政宗』の渡辺謙、『国盗り物語』の高橋英樹、近藤正臣といった主演俳優は、当時は駆け出しで大河ドラマに出演したことで大きく飛躍した。つまり若手俳優の登竜門的な場所として大河ドラマは機能していたと言えるのだが、この志向はすでに第1作からはじまっていた。
1963年の『花の生涯』からスタートした大河ドラマ。主人公の井伊直弼を演じたのは、歌舞伎界のエース・尾上松緑(二代目)。そして、映画界のスター俳優だった佐田啓二、淡島千景、香川京子が出演した。
淡島と香川はフリーだったが、佐田は松竹所属、当時の映画俳優は東映、松竹、東宝、大映、新東宝、日活といった映画会社に所属しており、監督、俳優の引き抜きや他社への貸し出しを禁止する五社協定(新東宝が潰れるまでは六社協定)が機能していた。そのため、映画はもちろん、新興勢力のテレビへの出演は、論外という状況だった。
これは歌舞伎などにおいても同様で、撮影技術が低かったこともあり、テレビの地位はまだまだ低かった。だからこそNHKは、新劇の若手俳優を起用するか、自前の劇団で俳優を養成しなければならなかったのだが、50年代末に映画業界が斜陽になり、テレビの力が増してくるにつれて、パワーバランスが逆転する。大河ドラマのスタートは、そんなテレビの勢いを決定づけるもので、だからこそ第1作となる『花の生涯』は、歌舞伎、映画業界からスターを連れてきたのだ。この流れは翌年の『赤穂浪士』で歌舞伎役者から時代劇スターとなった長谷川一夫の主演によって早くも達成される。
そして、佐田が出演したことで、五社協定は事実上崩壊し、スター俳優のテレビドラマ出演は定番化していく。ちなみに、佐田啓二は中井貴一の父親である。中井は1988年の『武田信玄』で主演を務めるのだが、長い歴史を持つため、親子関係も含めた俳優自体の物語が見え隠れすることも、大河ドラマの見どころだろう。
それが強く現れているのが、第3作となる『太閤記』で主役の豊臣秀吉を演じた緒形拳だろう。当時の緒方は劇団・新国劇の俳優で、主役は大抜擢。翌年の『源義経』にも武蔵坊弁慶役で出演しており、その後も82年の『峠の群像』で主演の大石内蔵助役を演じたりと、合計9作の大河ドラマに出演している。息子の緒形直人も『信長 KING OF ZIPANGU』で主人公の織田信長役を演じており、大河ドラマが生んだもっとも重要な俳優の一人だと言って間違いない。