『国盗り物語』は『麒麟がくる』と比較すればするほど面白い 戦国物語の基本的な型に

『国盗り物語』と『麒麟がくる』を比較

 新型コロナウイルスの影響で放送休止となっている大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK総合)の代わりに放送されている『「麒麟がくる」までお待ち下さい 戦国大河ドラマ名場面スペシャル』。6月21日に放送されるのは『国盗り物語』だ。

 1973年に放送された本作は、司馬遼太郎の同名小説を映像化したもの。物語はリレー形式となっており、油売りから美濃の大名へと成り上がる斎藤道三(平幹二朗)を物語前半の主人公とし、道三亡き後は、天下統一を目指す織田信長(高橋英樹)と本能寺の変で信長を討つ明智光秀(近藤正臣)に焦点を当てた物語となっていく。

 戦国時代を舞台に、道三、信長、光秀の三人が主要人物となることを筆頭に『麒麟がくる』と重なる部分が多いため、『麒麟がくる』が本作の本歌取りをしていることがよくわかる。

 また、本作には『梟の城』や『功名が辻』といった司馬遼太郎の歴史小説のキャラクターやエピソードが組み込まれている。中でも、『梟の城』の主人公である忍者・葛籠重蔵(露口茂)を中心とする忍者たちが信長の命を狙うエピソードは強いインパクトを残している。このあたりの忍者が絡む展開も『麒麟がくる』では、岡村隆史が演じる菊丸に引き継がれているようにみえる。

 その意味でも今回再放送される戦国時代を舞台にした大河ドラマの中では『麒麟がくる』に一番近いのが本作だ。しかし、登場人物、時代背景、舞台となる場所、描かれるエピソードが同じだからこそ、1973年に放送された『国盗り物語』と2020年に放送された『麒麟がくる』の制作された時代背景の違いが際立って見える。

 『国盗り物語』は、乱世だからこそ成立した成り上がりの物語を、ある種のロマンとして描いている。油売りから戦国大名へと成り上がった斎藤道三や、うつけ者と言われながらも、戦における才覚を発揮して天下統一へと邁進する織田信長の姿は、実にギラギラとしている。高橋英樹、近藤正臣、火野正平といった20代の若手を積極的に器用しているキャスティングもあるのだろうが、それ以上に感じるのはやはり時代の持つ勢いだろう。

 本作が放送された73年は10月に勃発した第四次中東戦争の影響でオイルショックが起こり、翌年、日本は戦後初のマイナス成長となる、ここで戦後の高度経済成長は終焉を向かえるのだが、本作のギラギラした雰囲気は、経済成長によって復興を遂げた戦後日本の勢いが反映されたものだったと言えるだろう。

 対して『麒麟がくる』における戦国時代は、大名同士のいくさによって庶民の暮らしが犠牲になっている終わりの見えない騒乱であり、人々はそんな時代が終わり「麒麟がくる」のを待ち望んでいる。

 これは1991年のバブル崩壊以降、低迷する日本の現状が反映されているのだろう。戦国武将の姿も庶民の憧れというよりは、何だかよくわからない方法で富を独占するIT企業の社長や二世政治家のようである。

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