勝新太郎と渡辺謙、二大俳優の対峙が見どころに? 『独眼竜政宗』を読み解く二つの軸

『独眼竜政宗』勝新太郎と渡辺謙の対峙

 新型コロナウイルスの影響により、大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK総合)が放送休止となったため、再開されるまでの間『麒麟がくるまでお待ち下さい 戦国大河ドラマ名場面スペシャル』が放送される。

 第1回となる6月14日に取り上げられるのは『独眼竜政宗』。1987年に放送された作品で、平均視聴率39.7%(ビデオリサーチ社、関東地区)は大河ドラマ歴代トップである。

 山岡荘八の小説『伊達政宗』を原作に、ジェームス三木が脚本を担当した本作は、仙台藩62万石を築き上げた戦国武将・伊達政宗(渡辺謙)の生涯を描いた物語。幼少期の梵天丸を藤間遼太、少年期の藤次郎を嶋英二、そして渡辺謙が青年期から晩年までという、3人の役者がそれぞれの時期の政宗を演じている。

 『独眼竜政宗』は思い入れのある作品で、おそらくはじめて観た大河ドラマだ。本作は筆者が11歳の時、つまり小学校5年の時に家族といっしょに観ていた作品なのだが、初見の時は結構すんなりと頭に入り、最後まで楽しめたのを覚えている。

 小学生だった筆者が最後まで楽しめたということは、日本中の老若男女が楽しめた作品だったということだろう。改めて見直すと『独眼竜政宗』は、本編こそ濃密かつ重厚な大人のドラマなのだが、毎話冒頭に入るオープニング解説が実にわかりやすく、作品の格調を壊さないギリギリの範囲で劇中の時代背景や勢力分布図を、現代日本との対比でわかりやすく遊び心を込めて解説していた。

 中でも面白かったのが「本能寺の変」について解説する際に、歴代の大河ドラマで描かれた「本能寺の変」で織田信長を演じた俳優の映像を使用していたこと(第8回「若武者」)。本作には織田信長を演じる俳優がいないのだが、こんなやり方で見せるなんてありか? と驚いた。しかもナレーションでは「本能寺の変をきっかけに国取りレースのトップに躍り出たのは羽柴秀吉なのであった」というもので、「国取りレースのトップ」という言葉が平然と出てくることに驚いたのだが、このオープニング解説があったから小学生でも入りやすかったのだろう。

 また、今回改めて何話か見直して、ジェームス三木の巧みな脚本や役者の演技の濃厚さに改めて驚いた部分も多々あったのだが、根幹にある印象は、当時も今も変わっていなかった。それは隻眼の英雄・政宗の、戦国武将としての圧倒的なカッコよさだ。

 政宗は幼少期に疱瘡(天然痘)を患い片目を失うのだが、そのコンプレックスを糧にして武将として成長していく。隻眼は政宗という人間をもっとも象徴するビジュアルで、子ども心に“カッコいい”という気持ちと“痛々しい”という気持ちの両方を感じさせるものがあった。

 それはそのまま彼の中にある戦国武将としての“強さ”と、母のお東の方(岩下志麻)に愛されていないというコンプレックスからにじみ出る男としての“弱さ”の両方を象徴していたと言えよう。

 実際、劇中の政宗は危なっかしいというか感情の起伏が激しく情緒不安定なところがある。この印象は幼少期、少年期を経て、渡辺謙が登場する青年期になるとより際立ってくる。

 政宗を演じる渡辺には、爽やかさと豪快さが同居しており、華やかな二枚目俳優でありながら、ギラギラとした野獣性が同居するという稀有な演技を見せるのだが、そんな政宗の性格が、父の伊達輝宗(北大路欣也)ではなく、母のお東の方の気質を受け継いだものだとわかってくると、二人が似たもの同士ゆえに、いがみ合っていたことがわかり、物語の深みがより増していくのだ。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる