津原泰水とはどんな作家だったのか? 豊崎由美、渡辺祐真、担当編集者が振り返る、その稀有な才能

津原泰水とはどんな作家だったのか?

 2022年に58歳の若さで亡くなった作家・津原泰水。少女小説家・津原やすみとして1989年にデビューしたのち、名義を津原泰水に変えてからは、現代小説からミステリー、怪奇幻想、SFやファンタジーなど多岐にわたるジャンルで小説を書き続け、亡くなった今も、その作品を愛し称賛する人の声が後を絶たない。この夏、最後の作品集となる『烏と孔雀』(河出書房新社)、そして実際に行われた創作講義をもとにした『小説教室 : 忘れられない小説を書く』(東京創元社)がついに刊行されたことを受けて、これまでの津原作品の担当編集者の三人と書評家の豊崎由美、渡辺祐真が集うトークイベントが、書店・文喫六本木にて開催された。その内容を一部、再構成してお届けする。

アイディア勝負の作家と決定的にちがうのは、読者を信頼しているところ

左から、豊崎由美、渡邉祐真、尾形龍太郎、古市怜子、塩澤快浩

豊崎由美:津原さんはとにかく引き出しが多いんですよね。SF、ミステリー、幻想小説、青春小説に恋愛小説。なんでもお書きになれる方なのですが、アイディア勝負の作家と決定的にちがうのは、読者を信頼しているところ。エンターテインメントの作家は、賞をとるなどして評価されるまで、自分のこだわりよりも、わかりやすく書くことを編集者から求められがちなのですが、マイナー・ポエティックな作家であったゆえに、そういうしがらみから自由にさせてもらえていたんじゃないかと思うんですよ。読者サービスすることを、この人には求めなくてもいいかなと、判断する編集者が多かったのではないかと。その結果、作品がどういう声を求めているのかということに、津原さんはとことん真摯に耳を澄ませ、文章表現が研ぎ澄まされていった。それが、すばらしいんですよね。

『五色の舟』(ビームコミックス)

渡邉祐真(スケザネ):僕は、近藤ようこさんによる『五色の舟』コミカライズから津原さんを知った、読者としては新参者なのですが、作品を読むたび、二重の意味で、どこへ連れていかれるのかわからない魅力があるなと感じています。ひとつは、たとえば『烏と孔雀』のような短編集ですと、所収されている作品を書いた時期や媒体は違えど、なにかしら一本のテーマが貫かれているものですが、津原さんの場合、どれも読み味が異なることに驚かされるんですよね。1編読むたびに、次はどんな世界に連れていかれるのだろうと、わくわくさせられる。だけど、一冊を読み終えたときには、なにか通底して浮かびあがるものがあるんです。そしてもうひとつは、視点人物が誰なのかわからない文章から始まること。書き出しから数ページは、いったい誰の物語で何が始まっているのかなかなか見えないんだけれど、それでも引きこまれてしまい、やっぱりわくわくさせられる。そして読み終えたときには、なるほど、表面的なストーリーとは別に、津原さんはこういう視点で世界を描きたかったのだなということに気づかされ、心をとりこまれてしまうんです。

『凶鳥の黒影 中井英夫へ捧げるオマージュ』(河出書房新社)

尾形龍太郎(河出書房新社):僕はもともと中井英夫が好きで、『凶鳥の黒影 中井英夫へ捧げるオマージュ』に参加していただいたのが、津原さんとの出会いでもあるのですが、中井英夫や久生十蘭にも通じる、まるで夢のなかにいるような文章を書く人がここにいたんだ、という衝撃を、津原さんの作品からは受けたんですよね。現実のなかに潜む異世界にすっと魂を誘われてしまうような、そんな文章を書く津原さんのような作家はたいへん稀有だと、心惹かれておりました。

塩澤快浩(早川書房):僕が担当させていただいた『バレエ・メカニック』はまさに、9年間昏睡状態にある少女の見る夢が現実を侵食していくという物語ですが、描写の密度がすさまじく、読んでいるとこちらもとりこまれてしまうような感覚に陥るんですよね。

古市怜子(東京創元社):少女の描き方も、すばらしいですよね。作家としてのキャリアが津原やすみとして、少女小説から始まっているということもありますが、『あたしのエイリアン』シリーズを夢中になって読んでいた子どもの頃、まさか作者が男性であるなんて思いもしませんでした。少女以上に少女の気持ちを……その気高さや精神性をわかっていらっしゃる。弊社で刊行させていただいた「ルピナス探偵団」シリーズも少女小説なのですが、時を経ても変わらず紡がれるリアルな少女たちの姿に、私も心をつかまれました。

ああああああああああああああああ

『烏と孔雀』(河出書房新社)

スケザネ:そうした魅力と、津原さんの積み重ねてきた技巧とテーマが『烏と孔雀』にはすべて詰まっていますよね。

尾形:『綺譚集』と『11 eleven』に続く第三作品集をつくりましょう、と津原さんとお話したのが2020年ごろ、まだ闘病される前のことでした。津原さんって、まず最初に、単行本未収録のテキストをすべて送ってくださるんですよ。雑誌に掲載されたものなどは、著者校の赤字などもすべて反映されている、完成テキストをすべて預けてくださり、そこから選んでほしいとおっしゃるんです。『11 eleven』のときは、たしか、30~40本いただいたんじゃなかったかな。『烏と孔雀』も同様にいただいたお原稿を何日もかけて読み、選び、ご提案してから、津原さんのご意見をうかがい、打ち合わせを重ねて全体像が決まっていきました。本当は、津原さんがどうしても入れたいとおっしゃっていた書きおろしがあったのですが、先に『五色の舟』という宇野亞喜良さんとコラボレーションした本を進めたいとおっしゃって、そのうちにご病気になられて書き上げることができず、やむなく外しました。

豊崎:津原さんって、本当に尋常じゃないくらい細かくて丁寧な方なんですよね。コロナを描くときに、必ず正式名称のSARS-CoV-2と表記するところに、津原さんらしいこだわりを感じました(笑)。『烏と孔雀』は、コロナ禍を描いた作品が非常に多いのも特徴の一つですよね。私はいまだに、ふと街を歩いているときとかに「あの二年間はいったいなんだったんだろう」と思うことがあるんです。今はもう、マスクをする人も少なくなって、すっかり過去のことになってしまったけれど、確かにあったあの時期のことを、小説に書いている人って実はそんなにいない。そのことに物足りなさを感じるなかで、津原さんは真正面から向き合っていらっしゃったのだなと思います。

『ヒッキーヒッキーシェイク』(早川書房)

塩澤:たしかに、半分くらいはコロナ小説ですよね。「カタル、ハナル、キユ」はうちから出している、『SFマガジン』の「異常論文」特集に寄せていただいたもので、アンソロジー『ポストコロナのSF』にも所収されたもの。架空の文明を描く、かなりアクロバティックな小説ですが、個人的にいちばん好きなのは「恋するマスク警察」です。これまた弊社から刊行している『ヒッキーヒッキーシェイク』に通じるところもありますし、なにより、全体を通して、かわいらしい。

古市:「恋するマスク警察」は、紅玉いづきさんが企画された合同誌『少女文学 第四号』に寄せられたものなんですよね。津原さんが、少女小説作家としての自分を全力で出すと意気込んでいらっしゃったと聞いています。津原さんとは電話で文学談義をされた思い出がみなさんにあると思いますが、「恋するマスク警察」を執筆されているときに、私のところにも電話がかかってきて。第一声が「古市くん、コロナ禍から恋愛は変わるよ」とおっしゃっていたのを、よく覚えています。濃厚接触という言葉がいきかい、人々が一定の距離を置き、さらにマスクで顔が見えなくなる。もっとも情報量が多いはずの顔と会話が存在しないなかで恋愛のかたちがいったいどうなっていくのか、非常に興味を抱いていらっしゃいました。津原さんはきっと、変化に興味がある方だったんだと思います。豊崎さんがおっしゃるように、コロナ禍の渦中を描く物語が少ないのは、この先どうなるかわからない状態で風潮があったからだと思うんですよ。

豊崎:勇気が必要ですからね。

古市:そうなんですよね。ある程度、状況が見通せるようになってから書かないと、勇み足になってしまうかもしれない。でも津原さんは、若い子たちが恋というものにどうアプローチしていくのか、どう変わっていくのかということに、興味をもって考え続けていたからこそ、これだけ筆が生き生きしてるんだと思います。あとは、個人的には「戯曲 中空のぶどう」も好きです。素朴なSFに対する津原さんの愛情が見えますし、少年だったときの気持ちで書いていらっしゃるのが伝わってきて。

尾形:僕が一編選ぶとしたら、「ボッサ・ノヴァ2020」ですね。<いずれもただの物語として目を通してくださいますと幸甚です>、と冒頭に書かれているように、エッセイも物語のように読んでほしいというのが、この短編集を編むときに津原さんが意識されていたことの一つなんです。「ボッサ・ノヴァ2020」は、日常がどんどん変わっていくコロナ禍の世界で、津原さんがただ歩きながら思考していることを綴った作品ですが、その構成や文章には非常に心を打たれるものがありまして……津原さんにぜひこれは入れたいですとお伝えした記憶があります。

スケザネ:僕は「I, Amabie」がすごく好きで。これまたコロナ禍を描いた作品ですが、古市さんがおっしゃったように、誰もがこの先どうなるかわからないからとりあえず言われるがままに従っておこうと大人しくしていた2020年と2021年。一番きつかったその二年間に僕たちが何をリアルに感じていたか、閉塞感があるからこそどんなユーモアが生まれていたか、その笑いと苦悩をこんなふうに表現されるのか、しかも振り返って書くのではなく渦中に発表されていたのかということに、非常に驚かされたんです。バランスのとれた限界のなかの限界を、描き切っているというのかな。あと、書きおろしとして「おなかがいたいアナグマ」という童話のような物語が所収されていますが、子ども向けでありながら津原さんらしいブラックさが端々に滲んだ文学でもある。僕はコロナ禍いちばん割を食ったのは、子どもの娯楽だと思っているのですが、コロナ禍を描いた作品がたくさん詰まったこの作品集に、子どもに向けた作品が所収されていることに、津原さんの想いみたいなものも感じました。

『小説教室 : 忘れられない小説を書く』(東京創元社)

豊崎:「I, Amabie」は、先日直木賞を受賞した朝倉かすみさんが企画した『朝倉かすみリクエスト! スカートのアンソロジー』に寄せられたものなんですけど、スカートをお題に出されて、アマビエのコスプレをするためにスカートを履く男子高生を描く、という発想がまた、すばらしいなと思いましたね。しかも、端的に言ってしまうと、この小説はものすごくエモいんですよ。主人公に感情移入しながら読む人は、最後泣いちゃうかもしれないくらい、グッとくる。先ほど言ったように、津原さんは読者を信頼しているから、わかりやすく書くようなことはしないんだけど、読者をどんなふうに手のひらで転がせば感情を動かせるかということも、熟知しているんですよね。そうとう上手に書かなければ、途中で思惑に気づいてしらけちゃうところを、あまりに表現がお上手だから、最後まで気づかず転がされてしまう。それで最後にグッときてしまうことが悔しくなるくらい。その手の内が、『小説教室』では明かされているわけですが。

古市:津原さんが美文家でいらっしゃることは論をまたないと思うんですけれど、自分はいわゆる御筆先と思われがちだけど、そうではないんだとおっしゃっていたことがあって。つまり、天から降ってきたものを書いているわけではない、理屈立てて書いている部分が非常に大きい方なんだということもわかって、これをお読みいただいた方は驚かれると思います。言葉の使い分けについても、非常に強いこだわりがあって。それは校正的見地で編集側が指摘するところではないか、というところまで、自覚的に書いていらっしゃるんですよね。

スケザネ:作家の創作論は、どうしても抽象的になりがちだと思うのですが、逃げずに具体を語っていらっしゃるところが、僕はすごいなと思っていて。帯に「新しいアイデアなんて、無くてもいい。オリジナリティなんて、無くてもいい。キャラ立ちなんて、無くてもいい。起承転結なんて、無くてもいい。」と書かれていますが、小説とはなにかを「〇〇ではない」ということの連続で浮かびあがらせ、具体的なNOを突きつけていく。「こうしなさい」ではなく「これをするな」と提示することで、読者の側に方策を選びとる余地を残してくれるところもおもしろかったです。

豊崎:私は書評講座でいつも、これから講座で語る私の教えをどうぞ裏切ってくださいって言う話をするんですよ。私が思う良い書評はこうだって話はするけれど、それは絶対じゃないし、なるほどと思うところは取り入れて、どうなのかと思うところはどんどん捨ててくれてかまわない。そのなかで最終的に残る自分の個性だけは誰にも教えられないから、と。津原さんも同じことをおっしゃっていたのが嬉しかったし、ここまで親切に教えてくれるのか、丸くなったなあと思いましたね(笑)。これから小説を書こうと思っている人だけでなく、小説をもっと深く読みたいと思う人にも参考になる一冊だと思うので、ぜひ、『烏と孔雀』とあわせて手にとっていただきたいと思います。

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