文字は滅び、歌が残るのか? 映画『オデュッセイア』を巡るメディア論

映画『オデュッセイア』を巡るメディア論

 ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。

 第48回は、クリストファー・ノーランの新作映画『オデュッセイア』とメディア論について。

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作り話の中にも、本物の感情が必要

 クリストファー・ノーラン監督の映画『オデュッセイア』を観た。トロイで10年戦ったオデッセウスが、故郷へ帰ろうとする話である。ところが、帰宅にもさらに10年近くかかる。戦争が終わったからといって、すぐ日常に戻れるわけではない。

 道中では神々や怪物や魔女が行く手を阻み、故郷では王位を狙う者たちが居座っている。この世ならざる者と、この世の者。後者のほうが厄介だなというのが感想である。何しろ、オデッセウス自身も、その周囲の人々も、だまし討ちや虐殺を重ね、嘘はつき放題。この映画は、神々が人間を見放す過程を描いた物語だ。

 さて、お家に帰るのも大変だが、20年待つ側も大変だ。アン・ハサウェイ演じる妻ペネロペには、夫が今どこで何をしているのか、確かなことがわからない。

L to R: Anne Hathaway is Penelope and Tom Holland is Telemachus in THE ODYSSEY, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

 夫の消息を運んでくるのは、商人や吟遊詩人、戦場から戻った兵士たちである。戦争には勝った。夫はその立役者だった。そこまでは確からしい。だが、なぜ帰ってこないのかとなると、又聞きや作り話が混じってくる。待ち続けるには、希望を持つだけでなく、他人の話を疑う力も必要なのだ。

 ペネロペは、夫が大事にしているアテナ像のブローチについて、相手が知っているかを確かめる。英雄の評判なら誰でも語れる。実際に会ったというなら、もっと具体的なことを知っているはずだ。口コミの時代における情報戦の強者である。

 一方、嘘を信じたために利用される人物もいる。トロイの木馬の作戦で犠牲になる兵士、シノンだ。

 木馬の中に兵士を隠し、神への供物だと敵に信じさせ、城壁の中へ運び込ませる。有名な作戦だが、考えてみれば、ずいぶん一か八かの話である。なぜ敵は信じたのか。映画を作る側も、そこを納得させなければならない。

 説明役として残されたシノンは、本当の作戦を知らされていない。木馬は神への供物だと信じている。だから、敵兵に問い詰められても、そう説明するしかない。敵兵は疑うが、最後には木馬を運び込んでしまう。本人の正直さが、嘘を信じさせるために使われた。作戦は成功するが、シノンは殺されてしまう。

 のちに死者たちの声を聞く場面で、シノンは、なぜ自分に嘘をついたのかとオデッセウスを責める。勝利に貢献したとしても、味方に騙されていたことは帳消しにならない。オデッセウスは、敵を騙すには味方から欺く必要があった、という趣旨の言い訳をする。もっともな怒りに対して、ずいぶんな言い草である。

 ただ、その言い訳は、ノーラン自身の映画作りについての話にも聞こえる。作り話の中にも、本物の感情が必要なのだ。シノンの確信も、騙されたと知ったときの怒りも本物だから、観客はこの無茶な作戦についてこられる。誰に何を知らせ、何を伏せるか。物語を本当らしく見せる技術についての話とも捉えることができる。

THE ODYSSEY, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

マクルーハンの予言はどれだけ当たっていたか

 最近、マーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を読み直した。1962年刊。文字と印刷が形づくった文明が、テレビやラジオなどの電気メディアによって変わっていくと論じた本だ。その序文は、ホメロスの話から始まっていた。

 ホメロスの英雄譚は、もともと声で語られ、歌い継がれてきた。読むために書くのと、聞かせるために語るのとでは、話の作り方が違う。マクルーハンは、そこに注目している。

 彼の見立てでは、アルファベットの普及によって、人間の感覚は文字を読む視覚に偏っていった。その最初が古代ギリシャ文明の時代。15世紀のグーテンベルクの印刷術が、その傾向をさらに強める。ただ、誰もが文字に頼るようになったのは、彼がこの本を書いた時点で、過去150年ほどのことだという。しかし、ラジオやテレビといった電子メディアが広がれば、人は声や音、映像を通じて、五感の鋭さを重視する文明を再び生み出すようになるというのである。

 「メディアはメッセージ」。マクルーハンが注目したのは、伝えられる中身以上に、それを伝える容れ物や形式だった。この辺りは、『オデュッセイア』の中で示された、文字は滅び、歌が残るというメッセージと重なる。

 さて、マクルーハンが広く話題になった1960年代に、その議論と接点のある映画が作られている。スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968年)である。この映画は、中盤にはセリフのあるドラマがあるが、序盤や終盤には人間のセリフがない。映像と音楽、効果音などが中心となって進んでいく。キューブリック自身、公開年の『Playboy』1968年9月号のインタビューで、映像を通じて観客の内面に直接届く作品を目指したと説明し、マクルーハンの言葉も引いている。言葉で説明する以上のことを、映画によって体験させようとしていた。

 この映画に登場する人工知能HAL9000は、人間が話しかければ声で答える、会話入力型のコンピューターだ。文字を介さずに機械とやり取りする。そこには、マクルーハン的な電子メディアの未来も反映されている。

 さて、そのマクルーハンの予言はどれだけ当たっていたか。

 パソコンが普及すると、キーボードによる文字入力が日常になる。ワープロ、電子メール、表計算、掲示板、チャットサービス、文字の検索。人々が文字を読み、書く場面は、むしろ増えていく。文字中心の文化から解放されるという予言として読むなら、マクルーハンは大きく外した。電子化は、文字への回帰をもたらしたのである。

 ただ、この5〜10年の動画や音声メディアの広がりを見ていると、50〜60年の迂回を経て、その予言が再び現実味を帯びてきた。文章で調べていたことを動画で知り、文字を打ち込んでいた機械に声で話しかける。HALのようなコンピューターも、遠い未来の話ではなくなった。

 最後にHAL9000の話をもう1つ。このコンピューターの外観は、赤いランプが1つあるだけ。このデザインの元ネタは、1つ目の巨人、サイクロプスだ。これはノーラン『オデュッセイア』にも、最初の怪物として登場した。そして『2001年宇宙の旅』の原題は、『2001: A Space Odyssey』。宇宙のオデュッセイア。こちらも、ホメロスの物語を語り直した映画だった。

 ノーラン、マクルーハン、キューブリックの三題話。遠回りして、出発点に戻ってきた。三題話もまた、語りの形式である。

■公開情報
『オデュッセイア』
全国公開中
出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン
監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画
© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.
公式サイト:odyssey-film.jp
公式X(旧Twitter):x.com/odysseyfilmjp

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