ミステリ翻訳者・服部京子に聞く、ホリー・ジャクソンの魅力「物語が進むにつれおもしろさが増してくる」

ミステリ翻訳者、服部京子の翻訳術

 2021年に翻訳されたホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』は、高校生ピップが未解決の殺人事件に取り組むという内容で、年末ベストテンのランキング上位を独占するなどその年を代表する話題作となった。そこから始まるピップ・シリーズは、多くの読者に愛されている。新たに訳された『夜明けまでに誰かが』は初のノンシリーズ作品であり、ピップものとはがらっと変わって緊迫感のある物語が展開するスリラーだ。ホリー・ジャクソンの魅力と、作品を訳すときに大事にしていることを翻訳者の服部京子氏に伺った。

フーダニットの魅力――『自由研究には向かない殺人』

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』
(服部京子訳、創元推理文庫)

――最初にホリー・ジャクソン作品との出会いから伺いたいです。服部さんは、どのようにしてホリー・ジャクソンを知ったのでしょうか。

服部京子(以下、服部):海外のレビューサイトで『A Good Girl's Guide to Murder(自由研究には向かない殺人)』を見つけたんですが、評価の星がたくさんついていたんですよ。取り寄せて読んだらとてもおもしろくて。それでSさん(東京創元社)にご連絡したら、ちょうどSさんもその作品を見つけたところで、「服部さんにリーディング(翻訳を検討するための下読み)をお願いしようとしていたんです」と言われたんです。

――実際に原書を読んでみたときの印象はいかがでしたか。

服部:たくさんの伏線が最終的にはきちんと回収される。私はもともとフーダニット(犯人当て小説)がすごく好きなんですけど、ばっちりフーダニットで、しかも青春物語で、主人公のピップもかわいいし、サブキャラクターたちと賑やかにやっている感じも楽しい。すごくおもしろい、と思いました。

編集S:それで翻訳出版権(以下「版権」)取得の交渉に入ったのですが、本国のエージェントが第2作(『優等生は探偵に向かない』)の権利を同時に取ってほしい、と言い出したんです。

服部:第2作のリーディングを進めていたところで、Sさんから急ぎの電話がかかってきて。「今から版権交渉をするので、第二作のあらすじを今言ってください」って(笑)。私は外出中だったんですが、「これはこうで、あれはあれで」って説明しました。「とにかくめっちゃおもしろいんで、取ってくださいね、絶対」って。

――無事に版権を押さえることができてよかったです。『自由研究には向かない殺人』はピップが自由研究の題材として未解決の殺人事件を調べるというのが主筋(メインプロット)ですが、中にLINEみたいなSNSのやり取りが入るなど、おもしろい構成になっています。そのへん造本には工夫が必要だったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

服部:ピップが書いた、手書きの相関図もありましたよね。

編集S:原書に相関図や手帳のページが出てくるのですが、日本語版では文字の部分は手書きではなくて、そういうふうに見える書体なんです。手書き風のフォントを探してもらいましたけど、すごく大変でした。

――そういう手のかかった部分があるから、しろうと探偵の謎解きっぽさが出ているんでしょうね。服部さんはフーダニットのどういうところがお好きなんですか。

服部:はじめは関係ないと思っていた事柄がつながって、一枚一枚、薄皮を剥がすように真相に近づいて犯人にたどりつくというのが好きなんです。『自由研究には向かない殺人』は、まさにそういう話でした。

――主人公が高校生だから、等身大の活動をしていくと最初はなかなか情報をもらえないんですよね。途中から違法行為スレスレのこともするようになる。第二作からその傾向が強くなっていくので自然と、「しろうと探偵とは何か。どこまで行動が許されるのか」という問題が浮上してくる。そこも日本でミステリー好きに関心をもたれた点だと思います。ピップはしろうと探偵として突っ走った結果、結構大変なことになってしまいますが。

服部:過酷ですよね。第二巻を訳しながら、うわあ、なんか辛いなあ、と思っていました。でもまだまだ甘くて、第三巻の『卒業生には向かない真実』で、こちらの予想を大幅に上回ってきました。でも第一巻から出してきた伏線はちゃんと回収していて。著者ご本人は最初の一冊を書いたとき、ここまでシリーズが続くとは思っていなかったとおっしゃっているんです。うっそお、と思いましたけど。

――困難に立ち向かって乗り越えることで、ピップの成長物語にもなっているんですよね。

服部:一巻はとにかく元気なんですけど、天真爛漫というキャラクターではない。高校生ならではの友達との日常的な会話もあるわけですが、第二巻以降は事件のことを引きずっていて、複雑な心理状態になっているはずなんです。翻訳ではそこがちゃんと出ればいいな、と思っていました。

――訳していくほどにだんだん大変になっていくキャラクターというか。矛盾したことも考えてるし。最初から見ると、こんな子にどんどんなっていくんだ、みたいな。

服部:ほんとにおっしゃるとおりで。なんでこんなことになっちゃうのって。でも、もしかしたら一巻で、そういう兆候はあったのかもしれないなって。

――三部作の刊行中に前日譚の『受験生は謎解きに向かない』が出て、びっくりしました。

編集S:本国で世界図書・著作権デーに合わせた無料の本として、『優等生は探偵に向かない』と『卒業生には向かない真実』のあいだに刊行されたものですね。その後、発売もされています。

伏線巧者ホリー・ジャクソンの新境地――『夜明けまでに誰かが』

ホリー・ジャクソン『夜明けまでに誰かが』(服部京子訳、創元推理文庫)

――その番外編も含めて、ピップの物語は基本的に古典的なフーダニットの現代版という性格があると思います。ところが今回の『夜明けまでに誰かが』は少し趣きが違う。キャンピングカーに六人の若者が閉じ込められ、ライフルで狙われるために外に出られなくなる。緊迫感溢れる状況を描いたスリラーです。最初お読みになった印象はいかがでしたか。

服部:実はこれも、伏線回収がすごい作品なんです。前半の日常的な会話とか状況説明の中に伏線がちりばめられているんですね。物語が進むにつれおもしろさが増してくる。最初は翻訳出版の企画書を作るために勢いよく読んだんですけど、後で再読するたびに発見が増えて、どんどん好きになっていきました。

――冒頭しばらくは、ティーンエイジャーがキャンプに行くという話なんですよね。ライフルの襲撃を受けるまで、けっこう長さがあります。

服部:ホリー・ジャクソンは割とスロースターターの書き手だと思うんです。ピップの物語でもそういう一面はありました。だからこれから『夜明けまでに誰かが』を読まれる方には後で答え合わせをすることを楽しみにしながら、序盤の話を読んでもらえればと思います。

――英語圏の作家でもジェフリー・ディーヴァーなどは割と無頓着で、話の後半になってから新事実をぽんと出してくるようなところがあるんですが、最近は伏線をきちんと張る作家が増えたという印象があります。『夜明けまでに誰かが』も、普通の青春小説っぽく書かれているので見えにくいですが、実はそこのところがしっかりしていますよね。主人公のレッドには見えないこと、わからないことは書かないという視点操作も徹底して行われています。

服部:また中盤で、読んでいる側の気持ちがうわーっと盛り上がる展開があるんですよね。脱出のための方策をあれこれ検討していて動きの少ない部分なので、あれがあったのは効果的でした。私は純粋なフーダニットを期待して読み始めたんですが、こんなにもサスペンスフルに仕上げる力があったのか、と感心させられました。

編集S:今回出版社がアメリカになったからか、舞台もアメリカに移っているんです。アメリカでは初版を50万部刷ったらしくて、気合が入っています。その期待に応えたということもあるんでしょうね。

服部:50万部ってすごいですね(笑)。私は明るいピップが好きだったんですけど、今回の主人公のレッドは、暗いというか内面に籠るところがあるんです。でもそれは過去の体験を抱えているからで、ああ、そうか、高校生だったらそうなっちゃうよね、と訳しながら納得するところもありました。そういう内面の屈託みたいなものがありつつ、後半には大変な展開になるんだけど、YA(ヤングアダルト)だからその中に少し清々しい要素もある。

――服部さんは他にYAは訳されていますか。

服部:カレン・マクマナスの『誰かが嘘をついている』(創元推理文庫)ですね。これは完全なYAです。

――話がすべて高校の校舎内で展開しますからね。日本にもありそうな学園小説です。

服部:『誰かが嘘をついている』の登場人物がみんなすごく可愛くて、それでYAっていいな、って思ったんです。初めて翻訳ミステリを読まれる方にとっても、とっかかりやすいんじゃないかなと思います。手に取りやすいYAミステリがたくさん出れば、もっと翻訳ものの幅も広がって読者も増えていくんじゃないかと私は考えています。そこからディーヴァーとかアガサ・クリスティとかケイト・モートンに行ってもらえたら嬉しい。で、いつの間にかミステリーにはまっちゃってくれないかな、みたいな(笑)。

三人称視点とキャラクター表現――服部京子の翻訳技法

服部京子が翻訳を担当しているホリー・ジャクソン作品(すべて創元推理文庫)

――そういう意味では、番外編も含めて四冊になっているピップのシリーズではなくて、単発作品の『夜明けまでに誰かが』から手に取っていただくというのはいいかもしれませんね。非常に読みやすく翻訳してくださっていますけど、ホリー・ジャクソンの原文は訳者としてはどうなんでしょうか。

服部:原書を読まれる方は、ホリー・ジャクソンは初心者向き、とよくおっしゃるんです。ただ訳すとなると難しい面もあります。たとえば『夜明けまでに誰かが』だと、レッド視点の三人称を、つい一人称っぽく訳したくなるんです。それで一人称に近くなりすぎると「ダメダメ、だってこれそういう人称の小説じゃないから」、逆に三人称になりすぎると「これ、レッドの視点じゃないじゃん」と、視点を自分の中で定めるのが難しいです。自分の訳文を何度も読んで「うーん、これだとレッドの視点じゃないみたいだし」とか言いながらちょっと直す。一箇所直すと、ここもおかしい、ここもここも、となって気になってきちゃうんです。その点が難しい作家だと思います。

――少し補足すると一人称に近い三人称というのは、主人公レッドの肩口くらいにカメラが置いてある感じで、彼女の立場に近い位置から読者も物語を見ることになるんですよね。主観で思っていることをどこまで書いていいのか、客観的事実の叙述に徹しないといけないのか、という見極めが難しいと。読者としてはレッドに感情移入しながら読むことになるので、だんだん一人称に寄って来ちゃいますよね。

服部:そこで訳者の自分がブレーキをかけないと、というところはありました。あまりレッドに寄りすぎると、作者であるホリー・ジャクソンの意図と違うものになってしまうかもしれないので。『自由研究には向かない殺人』の場合は、視点がピップのものしかないので、彼女が見てないものを見たように訳すのはまずいかなと思いました。原書では断定的に書かれているところでも「あれ、ここはピップは見ていないはずなのに」という箇所はあったんです。そのときは「と思った」と付け加えることもしました。「視点のキャラクターに寄せたほうが、読者の没入感も増すんじゃないかな」と思うこともあるんですけど、そこは節度が大事だと思っています。たとえば、「この文章は座りが悪いから、ちょっと副詞入れちゃえ」みたいなこともやってはいけないなと。そういうことをずっと考えています。

編集S:海外で、ここまで一人称寄りで三人称の文章を書かれる作家は案外珍しい気がします。また、翻訳の際、服部さんはたとえば「She said.」みたいな文章をそのまますべて「彼女は言った」とせずに翻訳されていて、そういった工夫が読みやすさにつながっているんだと思います。さまざまな翻訳上の工夫をされていて、編集作業のときに原文照合しているとすごく興味深いです。

服部:ありがとうございます(笑)。翻訳者の方によって工夫の仕方はいろいろありますよね。私の場合は翻訳の師匠である田村義進先生の教えをできる限り守ろうと思っています。「過去形で書かれていても、描写は現在形で書いてよし」とか、いろいろ教えていただきました。そのうちの一つが「主語は隠せ」「徹底的に隠せ」でした。それもなかなか難しいんですけどね。

編集S:発言者が誰なのかがわからないと逆に読みにくいので、すべて隠すわけにもいかず、バランスが難しいですね。

――特に今回の『夜明けまでに誰かが』みたいに、ずっと密室内で複数のキャラクターが喋っているような小説だと、大変なんじゃないでしょうか。

服部:そうなんですよ。今回は、密室にいる中でサイモンという男の子には、割と軽妙な感じのしゃべりを振っています。キャラクターの口調は最初に決めることが多いんですけど、サイモンはとにかくおちゃらけた感じだろうと。「緊張する場面の後の、ホッと息をつく発言はお願いね、サイモン」みたいな感じで割り振りました。割り振るといっても、原文にないことをやっちゃ駄目なんですけど、発言内容から判断して、ということですね。

――服部さんの訳書の読みやすさの理由がなんとなくわかった気がします。このあと、ホリー・ジャクソンは続刊の予定があるんでしょうか。

服部:今、もう翻訳作業を始めているんですけどフーダニットなんですよ。派手なところはないかもしれませんが、地道な捜査で、発見したことで驚かせるというような。

編集S:実は、ホリー・ジャクソン初のYAではない大人向けの小説なんです。『Not Quite Dead Yet』、主人公が余命僅かであることがわかっていて、死ぬまでの一週間ぐらいで謎を解かなければならなくなるという話です。タイムリミットの緊張感と、あといろいろなことを調べていく過程のおもしろさは『自由研究には向かない殺人』に似ているかもしれません。

服部:YAレーベルではないからなのか、主人公が内向きにいろいろ考えるような場面もあまりないですね。作者の新しい一面が見られる作品だと思います。

編集S:来年の、夏の目玉作品として刊行予定です。

――楽しみにしております。最後に、『夜明けまでに誰かが』で初めてホリー・ジャクソンを読まれるという方に向けて、翻訳者からのメッセージをいただけますでしょうか。

服部:難解な部分は皆無で、とにかく読みやすいです。ちょっと翻訳小説を読んでみようかなあ、という方におすすめ。ぜひお手に取っていただければと思います。

■書誌情報
『夜明けまでに誰かが』
著者:ホリー・ジャクソン
翻訳:服部京子
価格:1,540円
発売日:2025年7月30日
出版社:東京創元社
レーベル:創元推理文庫

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