ドイツ軍最高の頭脳『天才作戦家マンシュタイン』の失敗とはーー第二次世界大戦で勝利を収められなかった理由

大木毅氏によってこれまでに書かれたロンメル、グデーリアンの評伝に続き、ドイツ将軍三部作のラストを飾ることとなった『天才作戦家マンシュタイン』。ドイツ軍最高の頭脳を持っていたといわれる、エーリッヒ・フォン・マンシュタインの評伝である。
■天才作戦家と言われる所以は?
ただ実のところ、最初の二人に比べるとマンシュタインという人はちょっとキャラクターが弱い。ロンメルは「砂漠の狐」というキャッチフレーズと奇策をめぐらせた北アフリカでの戦いぶり、そして悲劇的な最後で広く知られている。グデーリアンにしても早くから戦車に着目し「電撃戦の立役者」として対仏戦の最前線を疾駆したイメージと、あのいかにもヤンチャそうな豪傑っぽい風貌がマッチしている。それに比べると、マンシュタインを一言でわかりやすく説明するのは、ちょっと難しい。
『天才作戦家マンシュタイン』は、文字通り一筋縄ではいかない人物であるマンシュタインの生涯について、わかりやすくまとめた一冊である。本書を読めば、とにかくマンシュタインが食えない人物であることがよくわかる。非常に多面的な人物というか、ざっくり言い表すのが難しい将軍なのだ。本書を通して読めばタイトルの通り「天才作戦家」としか言いようのない人物であることがわかるのだが、そもそも「作戦家」という概念自体に説明が必要である。説明しないと素人にはわかりづらい概念がキャッチコピーになってしまうところに、マンシュタインという人のよくわからなさがある。
そんなよくわからないマンシュタインについて、本書はその誕生から死までを丹念に追う。マンシュタインが生まれたのは古くから続く貴族の家系であるフォン・レヴィンスキー家で、生まれてすぐにこれまた古くから続く貴族であるマンシュタイン家に養子に出されることとなる。中産階級出身のロンメルや大土地所有者一族出身のグデーリアンと比べて、その生まれの良さは飛び抜けたものだ。ゴリゴリのドイツ貴族に生まれ、ドイツ帝国最盛期の香りを青年士官時代に嗅ぎ、エリートコースを突っ走ってきたのがマンシュタインなのである。
そしてマンシュタインはただの貴族のボンボンではなく、飛び抜けた頭脳の持ち主でもあった。対仏戦の計画に関しては常識はずれの案を練り上げ、不可能とも思えるプランでドイツ軍の勝利を設計した。独ソ戦に関しても、敵の攻撃に対して部隊をすばやく動かしながら適切に反撃する「機動防御」という戦術でソ連軍に対抗。第三次ハリコフ攻防戦などで大きな戦果を挙げている。
これらの戦果を見て、本書ではマンシュタインを「作戦次元の成功によって戦略次元の劣勢をひっくり返した天才」と評している。戦争には上から順に戦争全体を巨視的に眺める「戦略」→上下の階層と関わりつつ、作戦部隊の観点から軍事作戦の各行動を見る「作戦」→実際の戦闘など具体的な部隊の行動に関わる「戦術」という階層があり、上の階層での劣勢を下の階層での努力でひっくり返すことはほぼ不可能とされている。しかしマンシュタインは精妙な「作戦」によって戦略レベルの不利をひっくり返し、短期間でフランスを屈服させたり、数で大きく勝るソ連軍に鮮やかに勝利してみせた。本書で彼を「天才作戦家」と評している所以である。





















