小川哲は小説を書くとき何を考えているのか? 『言語化するための小説思考』を読む

Amazonベストセラー漂流記
3月5日のAmazon売れ筋ランキング「本」部門で76位にランクインしていたのが、小川哲による書籍『言語化するための小説思考』である。現在の日本を代表する小説家・小川哲が、自らの商売のタネである「小説」とその書き方について、普段思考していることをまとめた一冊だ。
これは「言語化」の本ではない

最初に書いておくべき点として、実のところこの本はいわゆる最近話題の「言語化」に関して書いたものではないように思う。本書のKindle版を検索してみても、「言語化」という言葉は一箇所しか引っかからない。言語を使った(一般的な「美術」ではなく、「人間の創造物」とか「訓練によって身につけた高度な能力」みたいな意味での)アートである小説の話が書かれているのだが、「気持ちや感想といった言語ではないものを、どうやったら伝わりやすく言語に置き換えることができるのか」というようなノウハウがたくさん書かれている本ではない。
では何が書かれているのかというと、本書から引用すれば「僕が小説を書く時に考えていることを可能な限り言葉にしてみよう、という試みの軌跡」である。読んで字の如く、実際に小川氏が小説を書く際に考えていることをひたすら細かく書きつらねた本だ。小説が成立するにはどのような条件が揃っていればいいのか、読者に内容を伝えるために小川氏は一体何を考え、どう実行しているのかを、各章ごとにトピックを切り分けて解説している。
まず一読して、非常に大盤振る舞いというか、大変気前のいい本だと思った。まず読者と著者の間には小説のどこを重要視し、どこを面白いと思うかにギャップが存在することを懇切丁寧に説き、ギャップの存在を当然とした上で、では何がどうなっていれば読者に「面白い」と感じてもらえるかを考える。さらに読者に対して情報を見せる順番によって生じる印象の変化を使いこなすことや、「この小説はこういう話ですよ」という自己紹介を何らかの方法で行うことがいかに重要か、それらの課題について小川氏がどう取り組んでいるかが、「よくこれだけポンポンと類例が出てくるな」と感心するような実例・作例とともに解説される。
小説とはコミュニケーションである
小川氏が徹底して注視しているのは、「小説とはコミュニケーションである」という点である。本書で最初に書かれているように、小川氏は他者と関わらずに自分一人の責任で完結できる職業として、能動的に「小説家」であることを選んだ人物だ。仕事なので、当然ながら収入を発生させなくてはならない。しかし、本来ならばあまり関わりたくない「他者」がお金を払ってくれなくては、収入が発生しない。小川氏はそこで初めて、作者は自分の価値観しか持たずに小説を書くのに、その価値を決めるのは他者であるという、創作を仕事にすることの困難と面白さについて考えることになる。
他者が金を払ってくれなくては、自分は小説家として生きていけない。だからこそ、小川氏はどうすれば他者がお金を払ってくれるか、小説を読んで内容を読み解き「自分にとって価値のある本だ」と感じてくれるかをひたすら考える。そもそも他人とは価値観が食い違って当然であり、そこを無理にすり合わせることはないものの、しかし小説家はそういうルールを前提としたゲームを戦わなくてはならない。そのために悟ったのが、「小説とはコミュニケーションである」という考え方なのだ。いかに他者=読者とうまくコミュニケーションをとり、小説家という職業を成立させるかを解説した、小説を媒介にした話し方教室のような本が、この『言語化するための小説思考』なのである。
この「小説とはコミュニケーションである」の「小説」の部分は、何にでも入れ替えることができる。「漫画」でも「絵画」でも「彫刻」でも「映画」でもなんでもいい。他者に自分の表現を見せ、価値があると思ってもらい、対価を得る。そのために自分のやりたいことを折ったり曲げたりせず、できるだけ双方にとって気持ちのいいコミュニケーションを取るために、作家は何を考え、実行しなくてはならないか。小説に限らない、創作で対価を得る方法の技術書としても読めるのだ。
創作と市場のバランスはどこにあるのか
実のところ、本書は読んでいて耳が痛いところが多々あった。自分は小説家ではないものの、ライターという文章を書いてお金に変換する仕事であり、企画を立てることもあるし、それが没になることもたくさんある。その企画を立てる段階で大変しんどいのが、「自分が興味を持ち面白いと思っていることと、世間の人が興味を持っていたりウケたりすることの間に、強烈な溝やズレがある」という点だ。ひとりよがりになっても誰も理解できないし、さりとて世間の人が面白いと思っているもののほとんどは自分から見てあんまり面白そうじゃなかったりする。自分と世間=他者のバランスを取るのが非常に難しいのである。
誰も興味を持っていないことに興味を持ち、それについてたくさん文章が書けるということはブルーオーシャンを開拓できると言えなくもないが、ブルーすぎるということはそこに何も住んでいないということであり、これは全くお金にならない。さりとて世間の人が全員関心を持つようなことはすでに食い尽くされており、よほど知名度がなければ同じことをやっても仕方がない。レッドとブルーの間の、ややブルー寄りの薄紫みたいなところを無理せず泳いでいられればいいのだが、それができるなら苦労はない。難しいな……と毎日思っていた。
が、本書に書かれている小川氏の思考は、そういったレベルの話ではなかった。読者は一体何を求めているのか、どのような場所に「小説」が存在しているのかを目を皿のようにして探し、読者と作家のコミュニケーションを成立させて自分の意図をできるだけ理解してもらい、小説家という仕事で食っていくためにはどうしたらいいのか、非常に高い精度で考え続けている。ベストセラー作家というのは、こうした営みを日常的に行っている生き物なのだ。そりゃあ、売れて当然。トップの人間がこれだけ全力で考え続けているのだから、自分にもまだできることがあったのではないか……という気持ちになった。
というわけで、本書は小説だけではなく、広い意味での「創作」で食べていきたい人間全員に向けて開かれた内容になっている。他者と関わるのを疎ましく思い、それゆえに表現することを仕事にしたいと思っているのに、それでも他者の基準を理解してそこに球を投げないと仕事にならない……。そんなジレンマに苦しんでいる人ならば、本書を読んで得るものが必ずあるはずだ。
■書誌情報
『言語化するための小説思考』
著者:小川哲
価格:1,210円
発売日:2025年10月23日
出版社:講談社
























