杉江松恋の新鋭作家ハンティング 社会の理不尽を受け止める奇想文学、石井遊佳『ティータイム』

理不尽を受け止める奇想『ティータイム』

 これ。奇想文学、かな。うん、そうかもね。

 奇妙な話、strange fictionは大好きなので、帯に煽り文句が躍っていれば期待して本を手に取るのである。

 石井遊佳『ティータイム』(集英社)を読んだのも、それが直接の理由だった。曰く「【注意】本作はまったく優雅ではありません。まず思いつかない、ぶっ飛んだ設定の奇想文学の集合体です」。おお、これで期待するなという方が無理だろう。

 どのようなあやしおかしの世界が展開するのかと思って巻頭の表題作を読み始めて、ちょっと面食らった。プ、プロレタリアート文学か、これは。

 主人公の明里は北関東は標高千二百メートルの山間にある草生水温泉の面影楼で働いている。湯畑があることからして、モデルは群馬県の草津温泉だろう。明里はその面影楼の、新米ルーム係として働いている。「あてどもなくほっつき歩いていた都会の街で」見た街頭ビジョンに背中を押されたのだ。露天風呂に入った若い女性に〈いやなこと、み〜んな、お湯の。ふう〉〈逃げようよ、がんばりすぎのあなた〉というナレーションが重なる。だが、いざ働き始めてみると面影楼のルーム係は、古参が新米に仕事を押し付けて手を抜き、彼らの管理をすべき番頭はことごとく無気力という地獄のような職場だった。冒頭数ページの職場描写を読んだだけで、あ、これは無理だ、と思った。夜逃げしない自信がない。

 明里は体力のすべてを搾取され尽くす。「生活の手間を極限まで省き、ずぼらの限りを尽くし、余りというあまりをそぎ落した最後になお残るのは、いくつかの洗いものなのだった」という述懐にとてつもない現実感がある。ストレス食いでついた贅肉が身体には着実に増え、部屋は「一か月も敷いたままの布団の下の畳が腐植土みたいに」なるという体たらく。その明里になぜか、先輩の吉川さんという女性のこどもらしい兄妹が懐き、中休みに部屋にやって来てはお菓子を食べていくようになる。

 明里が面影楼で働いているのには訳がある、ということは最初の方からほのめかされている。直接の原因が明かされる前にわかるのは、他人からひどいことをされても闘うことができない、明里の性格がすべての根源だろうということだ。彼女は自分を「目立たない場所にある穴」に喩える。「こいつは自分に反撃してくるやつかそうでないか」を誰もが見極め「さっさとゴミを捨てて立ち去」ってしまうのである。

 ないがしろにされてしまう人々。それが本書収録作の五篇に共通する要素かもしれない。自分の思うことを主張するのは正しい態度である。しかし誰もがそうする、そうできるわけではなく、「目立たない場所にある穴」になることを選びがちな人もいるのである。収録作の主人公たちは、そうやって穴になった挙句、ある者は流され、ある者は限度までゴミを押し込まれ、ついには不可避の結末を迎えることになる。時に奇想天外と言っていいような終わり方をするのだが、不思議と無茶な印象はなく、理の当然としてその終わりを迎えているように見える。理路整然とした感じがあったので冒頭の、奇想文学、かな、という感想が出てきたわけである。

 次の「奇遇」は、やはり流されるような人生を送ってきた明良という青年が主人公である。明良は明里の性別が替わった分身のような存在で、こっちもホテルで働いたときにフロント係から無体な仕打ちを受ける。嫌気がさしたときに、たまたま読んだ本に影響を受けてインドに漂着する。「ティータイム」で明里が感じた疲労がさらに重量を増して、しかも日常的にのしかかってくるようなインドの地である体験をすることになる、奇譚小説に分類して良さそうな作品だ。

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