村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』と時代設定を変えた意図は? NHKドラマ『地震のあとで』が抱えるいささか深刻な問題

『地震のあとで』が抱える深刻な問題

かえるくんとみみずくんの闘いはもはや東京ローカルではない

 第1話から第3話が、原作の持つ普遍性を史実を取り込んで押し広げたと評価できるのに対して、第4話「続・かえるくん、東京を救う」はいささか深刻な問題を抱えることになってしまっている。
 1995年の阪神淡路大震災から2025年までの間に、日本には甚大な被害の地震がいくつもあった。何より東日本大震災が起こったし、最近も能登半島地震(2024年1月1日)があったばかりだ。
 かえるくんはこれらの厄災を見過ごしたのか。あるいは防ぐべく闘ったけれど負けてしまったのか。
 みみずくんは「先月の神戸の地震によって、心地の良い深い眠りを唐突に破られたのです。そのことで彼は深い怒りに示唆されたひとつの啓示を得ました。そして、よし、それなら自分もこの東京の街で大きな地震をひき起こしてやろうと決心したのです」と原作にあるから、かえるくんとみみずくんの最初の闘いは東京ローカルだったのかもしれない。
 しかし、地震が「遠くからやってくる響きやふるえ」を「吸収し、蓄積」して「憎しみというかたちに置き換えられ」たものであるなら、みみずくんのような憎しみの主体が他にもたくさんいることになる。にもかかわらず、かえるくんに相当するイノセントな存在が東京にしかいないのであれば、日本はいずれ東京だけ残して滅亡してしまうのではないか?
「続・かえるくん、東京を救う」において片桐は、阪神大震災以降、日本人の心に蓄積されてきた幾多の罪の意識を、集約代表する存在として描かれている。片桐は過去に目をつむり記憶を封じることで30年間を生き延びてきた。だから片桐は、かえるくんのことを覚えていないのだ。片桐の忘却には、われわれ日本人全体の忘却が含まれている。みみずくんの化身である謎の男(錦戸亮)は、片桐に向かってこう吐き捨てる。
「知らない、わからない、覚えてない。あんた“ら”がいつもそんなんやから、世の中が悪ぅなるいっぽうなんやで。どーせ自分のことばっかり考えて生きてきたんでしょ」
 片桐の心象風景の中で彼のいる部屋のカレンダーは1995年1月17日を示しており、時計は午前5時44分と45分のあいだで震えるばかりでその時刻より先に進まない。46分になると地震が起こってしまうからだ。
 ここにいる限り安全だし地震も起こらない、忘れるというのは大事な能力なのだ、忘れるからこそ人は前に進めるんだ、あとのことは他の人に任せればいいのだ。そう甘言を弄する謎の男を、片桐は、それでも帰りたい、かえるくんに会いたいと撥ね除け、呪縛を破る。
 これは原作でいう「想像力の中でおこなわれた闘い」であり、かえるくんを応援する「勇気と正義」である。
 ここで描かれた忘却の中にはむろん、東日本大震災やコロナ禍や能登半島地震も含まれている。ドラマ制作陣もその意図を込めている。
 だが、片桐に全日本人が集約されており、みみずくんに全日本の憎しみが吸収蓄積されているのであれば、かえるくんの闘いも全日本に成り代わったものにならざるをえない。「続」での闘いは、東京ローカルではもはやありえないのである。
 とするなら、東日本大震災やコロナ禍や能登半島地震に対して、かえるくんが無為だったのはなぜなのか。そう問うのがなかばイチャモンに近いことはわかっているが、1995年2月という局所を30年間に引き延ばしたせいでかえるくんの象徴性が薄れたということはできるだろう。
 放映終了後、ドラマと物語を共有した映画『アフター・ザ・クエイク』が10月3日に公開されると発表された。「ドラマ版にはない“新たに撮った場面がこの映画の語り部”のような役割を担います」(井上剛監督)(参考:『アフター・ザ・クエイク』公式サイト)とのことである。刮目して待ちたい。

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