村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』なぜ人間の暴力性と悪を描いたのか『100分de名著』特集から考察

英訳を意図していた『ねじまき鳥クロニクル』
『ノルウェイの森』(講談社文庫)刊行の後、村上の海外進出は本格化していき、『羊をめぐる冒険』(講談社文庫))が講談社インターナショナルから英訳版で出て、その後にアメリカの出版社からペーパーバックとして出て「ニューヨーク・タイムズ」に書評が載るほどの歓待を受ける。辛島デイヴィッド『haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房)には、そうした村上の海外進出の経緯が詳しく紹介されている。『ねじまき鳥クロニクル』については、執筆前から英訳作りを意図していたことが書かれている。
それまでの村上作品を翻訳していたアルフレッド・バーンバウムに替わる訳者としてジェイ・ルービンを見つけ、講談社インターナショナルからクノップフ社に版元も替わって臨んだ『ねじまき鳥クロニクル』の英訳版の刊行は、1995年に雑誌「ニューヨーカー」に抜粋が載り、1997年にハードカバーとして出版されて世界に出た。
この際に一部がカットされたのは知られた話だが、テキストによれば、「さらに、その後日本で『ねじまき鳥クロニクル』の文庫版を出すことになったとき、村上は米国版向けに自ら提案した削除案をいくつか取り入れ」たとのこと。世界を相手に柔軟に振る舞い、体験を通じて成長していくことで世界が愛する作家になったと言えそうだ。
なぜ、第3部を書いたのか
『ねじまき鳥クロニクル』は、『第2部 予言する鳥編』に入って謎が謎を呼ぶ展開になっていく。トオルの妻のクミコが失踪し、クミコの兄の綿谷ノボルという男が登場して悪の権化のような存在感を見せる。気鋭の経済学者で政治の世界にも関わりを持つ綿谷ノボルと、無職で妻にも逃げられたトオルとでは立場が違いすぎて、苛立ちと絶望感すら漂う。
けれども、トオルは諦めず、「そこにいる誰か」に向かって「これだけは言える。少なくとも僕には待つべきものがあり、探しもとめるべきものがある」と語りかける。「そこでは誰かが誰かを呼んでいる。誰かが誰かを求めている。声にならない声で。言葉にならない言葉で」。
『ねじまき鳥クロニクル』は当初、この『第2部 予言する鳥編』で終わっていた。読者は投げかけられてきた謎への答えと、物語の先を自ら想像することで村上が何を伝えようとしていたのかを感じとるしかなかった。『100分de名著』のテキストにも、謎が謎として積み重なっていく世界を生きるのが人間だといった意識から、『ねじまき鳥クロニクル』では謎を放置したままで終わらせたという村上の見解が紹介されている。
その村上が、『第3部 鳥刺し男編』を書いたのはなぜなのかも興味深いところだ。吉本は「わたしにはこの第三巻は親切すぎて蛇足に近いとおもわれた」と指摘し、語り手が入れ替わることがリズムを悪くしていると『ふたりの村上 村上春樹・村上龍論集成』で批評している。それでも、赤坂ナツメグとシナモンという新しい登場人物が加わり、トオルと綿谷ノボルの対決も深まり、タイトルにある「ねじまき鳥」の意味にも近づいていく。
かつて沼野は、『世界文学から/世界文学へ 文芸時評の塊1993-2011』(作品社)にも収録されている「読売新聞」掲載の文芸季評で、『第3部 鳥刺し男編』が出て完結した『ねじまき鳥クロニクル』を「戦後五十年を経た日本の歴史的状況を文学的想像力によって迎え撃とうとした貴重な試みとして、歓迎されるべきと思う」と評価した。改めて『100分de名著』の中でどのように解釈を行うのかも気になるが、やはり読者として通して読んで、その面白さを確かめてみるのが良さそうだ。


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