「ニュータイプ」「スニーカー文庫」……現在のKADOKAWAの礎を作った元副社長・井上伸一郎が語るおたくな仕事と人生

出版社のKADOKAWAでアニメ誌の「月刊ニュータイプ」創刊に携わり、富野由悠季の小説を文庫化してスニーカー文庫が立ち上がるきかっけを作り、『ゲートキーパーズ』で瀬戸際のアニメ事業を盛り返した人物が井上伸一郎だ。3月18日に発売された回顧録『メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史』(星海社新書)は、宇野常寛を聞き手に語られた井上の言葉を通して、アニメや漫画といった日本の“おたく文化”が、どのように生み出されてきたかが分かる1冊だ。
【撮り下ろし写真】第3回新潟国際アニメーション映画祭に登壇した井上伸一郎
いち早く新海誠の才能に気づいていた”おたく”の嗅覚
「東宝の川村元気さんが公開の2年前に企画書を会社まで持って来てくださって、これは売れると思い即決で出資しました」。2025年3月15日から20日まで開催の第3回新潟国際アニメーション映画祭で行われた『「ニュータイプ」40周年記念トークショー』で、登壇した井上伸一郎が新海誠の『君の名は。』(2016年)について語ったエピソードだ。
後に国内だけで250億円の興行収入を稼ぎ出すことになる日本アニメの金字塔的作品だが、公開前にそこまで成功を予想する人は多くなかった。井上は出資した上に、「新海さんにはぜひ公開前に小説を書いてもらいたいとお願いしました」。その小説が公開までの2ヶ月で40万部も売れたことが、映画の驚異的なスタートダッシュに繋がったと言われている。『メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史』にはデビュー作の『ほしのこえ』(2002年)から注目していたことが語られている。出資の即決には“おたく”ならではの勘所が働いたと言えそうだ。
回顧録から分かるのは、井上が筋金入りの”おたく”だということだ。1959年生まれで、63年に始まった『鉄腕アトム』が視たいと親に頼み込んでテレビを買ってもらい、66年に特撮の『ウルトラQ』が始まると、「映画館に行かなくても毎週怪獣や特撮が視られる」と狂喜乱舞した。『ウルトラマン』や『仮面ライダー』を楽しみ、大島弓子や竹宮惠子、萩尾望都の漫画にも親しんだ少年時代を経て、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』と出会いその魅力にハマる。
今の60代半ばを中心とした人たちには普通の経験だったかもしれないが、そこから趣味を超えるようなのめり込み方をする人たちが現れて、今に繋がる”おたく文化”を花開かせる。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明や『超時空要塞マクロス』の河森正治が有名だ。井上の場合はクリエイターではなく、『ガンダム』を特集していたアニメ誌の「アニメック」にアルバイトとして入り、編集者・ライターとして活動を始める。数ヶ月後には、『赤毛のアン』特集を任されたというから才能があったのだろう。
『ガンダム』の富野由悠季は『伝説巨神イデオン』から担当するようになり、いつか著作を編集者として出したいと思うようになった。やがてアニメ関係の編集者・ライターとして頭角を現していく中で、「アニメック」にいては未来がないと思うようになり、KADOKAWAで働くことを考えた。『幻魔大戦』(1983年)をヒットさせ、次に『少年ケニア』を作ると宣言していたKADOKAWAならアニメ誌を創刊するに違いない。そう考え、ライターとして参加していた「週刊ザテレビジョン」との関係を深め、遂に来た「月刊ニュータイプ」の創刊に参画する。なかなかに周到だ。
「月刊ニュータイプ」創刊 アニメ誌の休刊が続く中打ち出した一手
この「ニュータイプ」という誌名について、新潟でのトークで誰が名付けたのかが話題になって、井上は「初代編集長の佐藤良悦さんです」と答えていた。回顧録によれば、先に角川書店の角川春樹社長から了解を取り付け、専務の角川歴彦が富野と面談し、1度は断られながら折れずに2度目をセッティングして了解を得たという。こうして創刊40年への道が開かれた。
富野は最初、アニメ誌が続々休刊の危機を迎えている時期だからと断った。それほどまでの逆風下で「月刊ニュータイプ」が生き残りのために考えた戦術が興味深い。それはクオリティが高い版権セルを大きく掲載することだ。
「アニメック」も含め既存のアニメ誌は場面カットを多く載せていた。ビデオデッキが普及して「テレビアニメや劇場アニメを追体験していく機能」が失われたことで、違うバリューが求められた。「月刊ニュータイプ」では、ハリウッドのスターやスーパーモデルをフォトグラファーの撮った写真で登場させるような感覚で、アニメーターと打ち合わせをして原画を描いてもらい、それを大判のセルに写して彩色し仕上げたものを使った。
新潟のトークでは、40年の間に使われた表紙絵が紹介されてそれぞれに考え抜かれた構図であり表情になっていることも明かされた。新しいところでは、2024年9月号で『ぼっち・ざ・ろっく!』の後藤ひとりを表紙に起用する際に、ぼっちらしく正面を向かずにギターを弾く構図にした。クリエイターが描いて楽しく、ファンが見て喜ぶイラストを使う伝統は、創刊の頃から綿々と受け継がれたものだった。